Land of Dreams について

Art Space Land of Dreams
オーストラリア・アボリジ二・アート・ コーディネーター
内田真弓
0610mayumi@gmail.com

私とアボリジニアートの出逢い

私の人生にこの“アボリジニアート”が登場してもうあれよあれよという間に10年の月日が流れた。

生まれ故郷の茨城を離れ、気が付いてみると東京を出て日本を脱出していた。安定した職業であるスチュワーデスを6年で退職。あー、もったいない。プロ野球の奥さんになれるかもしれないのに…と誰もにそう言われたが、“自分が本当にやりたいこと、自分が自分でいられる居場所”探しの旅に出たくてスーツケース2 つ抱えて渡米。もちろん知り合いなんておらず英語もしゃべれず、そんな中でのスタートだった。

アメリカへは一年間滞在。お金は無くなる一方だったのに体重は増えるばかりだった。その後はオーストラリアへ日本語教師として渡豪。日本人がたった一人だけという小さな村の小学校に派遣され7軒のホームステイをめぐりめぐった。

日本帰国直前に“雨宿り”がきっかけで飛び込んだメルボルン市内のアボリジナルアートギャラリーで私の運命が大きく変わったとは当時誰が想像をしたものか。

ギャラリーオーナーからその場で仕事をオファーされる。初の日本人スタッフとして採用されることになるわけだ。
長い長い人生の途上でまったく予期せぬ運命の訪れであった。答えを出すのは自分自身。
迷っていても結果は出ない。逆に思い切って具体的な行動を取ってみることで答えも具体的に出てくると自分に言い聞かせ新たな第一歩を踏み出す決意を下した。

新しい空気の中で、新しい仲間と、新しい仕事をすることは当然だが楽しいことばかりではなかった。人並みにホームシックにもかかり、荷物まとめて日本へ帰ろうと泣きべそかいたことだって数知れず。それでも次第にアボリジニの奥深い文化に魅せられ彼らの不思議な芸術に夢中になっていった。

学者でも美術評論家でもない素人の私がアボリジニアートにここまで虜になるとは自分でも驚いている。…が、心の中で何だかよくわからないけど確実な手応えのようなものを感じたのは今でもはっきり覚えている。

1997年に初めてアボリジニ居住区へ赴いた。そこは政府管轄のエリアなので訪問には必ず『許可証』が必要となる。観光客や一般人はやたらとむやみには入れない地域だ。

友人でもある歴史学者と一緒に2週間ほどアボリジニ村へ滞在をし、炎天下と慣れない環境から瞬く間に結膜炎と下痢で泣かされた。

しかし、そこで観たもの体験したものはこれまでどんなアボリジニの専門書を読んでも何処にも書かれていなかったことばかり。背中に鳥肌が立つようなショックさえあった。

そこから私のフィールドワーク調査が始まる。
調査と言っても学者ではないので時間のあるときに居住区へ通ってアボリジニと共に暮らし、一緒に狩りに行き、絵画の意味を学んだりといったユニークな活動がたまらなく楽しくなった。
しかし日本の22倍もの面積を持つオーストラリア大陸であるからにして自宅のメルボルンから大陸中央のアリススプリングスまでは時間もお金もたくさんかかる。しかしそれでも“また行きたい”とすぐに思えるような “何か”不思議な魅力がアボリジニ居住区にはあるのだろう。

現在はギャラリーを退職し自ら起業してフリーランスとしてアボリジニアートの啓蒙に努めている。
展覧会の企画・作品の販売はもちろん大学でのアボリジニ講義、メディアのコーディネートとアボリジニアートに関わることであれば何でも行う。2003年には居住区から2人の純血アボリジニ画家を来日させた。まさに愛と涙の東京物語であった。

私の人生にこんなにもたくさんのエキサイティングを与えてくれるやっと見つけた“これだ”と思えるこのアボリジニアートと今後も長く関わっていたいと心からそう思っている。