作者は1945年ごろ中央砂漠のATNANGKEREで生まれ、オーストラリア政府が定めたユトーピアという居住区へ強制移動させられるまではアボリジニ古来の伝統的な暮らしをずっと続けていたといわれている。

1980年代後半に政府が作者の生まれ故郷であるユトーピアの女性たちに経済的自立とアボリジニのアイデンティティを取り戻すことを理由に、バティック(ろうけつ染め)制作に力を注ぎ、インドネシアに多数その技術を学びに行かせた。その中心的存在であった作者はその中でもひときわ高い芸術性を持っておりこのバティックプロジェクトを大成功に導いた画家の一人である。

1990年からは海外でのプロモーションが多く行われたころから現地へたびたび招聘されるようになり、これまでにもアイルランド・ロンドン・シンガポール・NY・インドでそれぞれ個展のために訪問している。2008年には大阪国立国際美術館で行われた過去最大規模のアボリジニアート展(エミリー・ウングワレー展)の開会式にオフィシャルゲストとしても招かれ初来日。メディアからもひときわ多くの注目を浴びた。

当時、雪の舞う大阪でひとりはしゃいでいた砂漠生まれの作者の姿がとても印象的であった。