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The Land of Dreams Blog

夢の東京滞在記

2008 年 8 月 1 日

6月下旬の東京は、すでに梅雨入りをしていた。どんよりとした雲の間から、しとしとしとしと…と、雨が静かに都会のコンクリートを濡らしていく。

朝、ドライヤーで髪をバッチリセットしたはずのオレ様だったが、すでにこの湿気たっぷりの雨降りで、クセ毛の前髪があっちこっちへと気が狂ったように踊り出している。最悪。

オレ様が今回、一緒に連れて歩いているのは、普段乾燥したオーストラリアの中央砂漠で暮らすアボリジニの女性画家達。バーバラとトリーザ親子だ。国立新美術館で開催されるエミリー・ウングワレー展の晴れの開会式へ、日本に招かれた特別ゲストの2人だ。

そんな彼女達が、最後に砂漠で雨を見たのは何と、1年半前だというではないか。なるほど……わかったよ……だからなのね……。

ワンタッチ傘を「珍しいから」と言って、地下鉄のホームでパチパチやる娘のトリーザ。きゃっきゃっきゃっきゃっと大騒ぎで手が付けられない彼女は、もうじき46歳になる。

「電車の中では絶対やるなよ」と、オレ様がおっかない顔で注意しても、まるで聞いちゃいない様子だ。

「ショッピング! ショッピング!」と、二言目にはオレ様の腕をぐいっと引っ張って、「どこか連れて行け」とだだをこねる。くどいようだが46歳。
すると、間髪入れずに母親のバーバラも、「日本には珍しいおもしろいものがたくさんあるから、ショッピングに行きたい。ショッピング! ショッピング!」と言って、さっさと先に歩き出して勝手にタクシーを止めてしまう。ちなみに彼女は67歳。

贅沢は敵だ…。42歳のオレ様は、そう自分にいつも言い聞かせる。「タクシーなんてもったいない。歩け歩け。地下鉄に乗るぞ」。そういって止まったタクシーに、「ごめんなさい」と頭を下げてそのまま行ってもらい、2人を地下鉄の駅まで歩かせる。

これまでオレ様は、何度もアボリジニの人達を日本に連れて来て、ショッピングにお供したことはあるが、まずスムーズに、事が済んだためしがない。ある者は値段を見ずにレジに品物を持って行き、「合計27万円です」と言われて恐怖におののいたり、ある者は試着したまま店の外に出て来てしまい、店番のオヤジさんに大声で呼び止められたり…。思い出したら…ああ、キリがない。

しかしながら、今回オレ様がご一緒しているのは、街で暮らした経験もあるトリーザとバーバラだ。まずはそれほど大きな問題はなかろう…と安心しきったオレ様が、やっぱりオオバカ野郎であった。

人間にとっての「物欲」というのは、自分の目の前にそれだけのチョイスがたくさん存在する時に発生する心の欲求で、だからこそあれもこれも手に入れたいと願ってしまうのだ。

普段、最寄りの街から何百キロも離れて暮らす娘のトリーザは、スーパーマーケット一つないアボリジニの居住区で、実に快適に暮らしているというではないか。「不自由に感じることはないの?」そうオレ様が尋ねても、「初めから手に入らないとわかっているから、そこで“欲しい”なんてまず考えないわよ」と、ケラケラッと笑いながら、2袋目のポテトチップを開け始めた。

ところがどうだろう。2人をショッピング天国のアメ横に連れて行った途端、顔つきが一変したのである!!!

ビニール傘は買い物に邪魔だ、とオレ様に無理やり押し付け、まず2人は眼鏡屋に飛び込んだ。砂漠は直射日光がやたら強いからと、UVカット入りのサングラスを次々に試着。あっちがいい、こっちの色もかっこいいと店内でわーわー騒ぎながら、オレ様に耳元で「値切れ」と命令。どこまでも強気の2人だ。

1時間後、それぞれ3ペアずつ購入し、大満足で店を出た。店との値段交渉で疲れ果てたオレ様は、口数少なく、とぼとぼ2人の後ろを歩く。いっそのこと、このまま2人をまいて逃げてやろうか…。そんなことまで考えたものだ。

そのとき2人が同時に指を差した店。今度は靴屋だった。
後ろにいるオレ様を振り向くわけでもなく、彼女達はまるで掃除機にでも吸い込まれるように靴屋へと消えていった。
少し遅れて店に入ったオレ様の視界には、端から端まですべての靴を試着して店内いっぱいに脱ぎ散らかしているトリーザとバーバラがいた。2人合わせて113歳だ。あんまり関係ないが、オレ様の思考能力はもうギリギリのところまで来ていた。

2時間後。聞いて驚くなかれ。2人はその靴屋でそれぞれ6ペアずつ購入し、荷物がこんなにたくさんになってしまったからと、新たに新しいスーツケースを2つ購入。
ここでオレ様、すでに死んだフリ。完全に動けなくなってしまった。

気がつくと、雨はすでにやんでいた。…瞬時にいや~な予感がしたが、それが見事に命中。さっきまで差していたビニール傘を、オレ様の予想通り、2人ともどこかに置き忘れたからと、それをこれから探しに行くことに。

その途中でトリーザが「糖尿病の注射を打つ時間が来た。トイレに行きたい」と突然のたまう。「この注射を打たないと死んでしまう」とまで言い出す。オレ様、急いでビルの中に入り、トイレ探しに奔走した時、バーバラが「腹が減った。何か食わせろ。空腹で目が回ってきた」とやや不機嫌な顔をする。
ああああああああ~~~~~~~!!!!!! いい加減にしてくれ~~~~!!!!!!

オレ様は、この時生まれて初めて、殺意というものを抱いたような気がする。
さもなければ2人を大型の段ボール箱に詰めて、近くの郵便局からアリススプリングスまで送ってしまえ……と、真剣に思ったのも事実である。

贅沢は敵……のはずだったが、今の敵は間違いなくこいつら2人だと確信したオレ様は、誰よりも早くタクシーを拾ってさっさと家路についたのさ。

翌日、無事に開会式に出席をした2人は、会場へ来ていた来賓の人達に「ジャパン、最高。ショッピング、サイコー!」と楽しそうにそう言っていたっけ。

まだまだ日本では無名であるエミリー・ウングワレー展。しかし、もはやすでに10万人近い入場者数を記録しているというこの現実に、関係者はみな驚きを隠せない。
  
「無」から生まれ出た生命力溢れる86歳のエミリーの絵画は、文明にどっぷりと漬かったオレ様達に圧倒的なエネルギーで様々なことを訴えてくる。

日本でのエミリー展開催の実現に、心から感謝を述べたい。

夢の東京滞在記 その1

2008 年 7 月 1 日

念願であったアボリジニの天才女性画家エミリー・ウングワレーの展覧会日本開催が、いよいよ実現するときがやってきた。しかも、会場となるのは、東京で今最も熱いスポットととして注目を浴びている国立新美術館。オレ様の豊満な胸の鼓動が、ひときわ大きく高鳴る。

開会式への正式な招待状をオーストラリア国立博物館より受け取ったオレ様は、例によってアボリジニの画家を2人ほど来日させるべし、とのご使命を受けた。そう、エミリーの親族であるアボリジニの人達が、開会式の特別ゲストとして日本へ招かれるという大イベントなのである。人選はすべてオレ様任せ。こりゃ責任も重大だ。

最初は3人の来日予定だったのだが、途中で「予算が足りないから一人カットね」とお役人様がそうおっしゃってきたので、オレ様は素直に候補者を3人から2人に絞り、早々に日本滞在の計画を立て始めた。

先月号でご紹介をしたジェニーちゃんと、アナちゃん。残念ながらパスポートが期日までに間に合わず、今回は泣く泣く日本行きを断念することに。

そこで、代わりに日本行きのチケットを手に入れたのは、普段、街から数百km離れている小さなアボリジニ居住区(人口10人程度)で暮らしている女性画家、トリーザ嬢。彼女は数年前に、個展でヨーロッパへ行った経歴があることから、パスポートをすでに持っていた為、話が早かった。しかも、今回一緒に来日をするもう一人の画家、バーバラの実娘でもある。親子で一緒に来日となれば、オレ様もそれほど過度の気遣いは必要ないであろう。いつものように、そう勝手に自分に都合良く暗示をかけて、2人の日本行きをサポートすることに。

しかしながら、初来日となる娘のトリーザが、実は糖尿病の持病持ち。うーーん。そうなると道中がやや心配ではあるが、「自分でケアが十分にできる」と本人がそう言ったのでGOサインを出した。

すると母親であるバーバラが、そうっとオレ様に耳打ちするではないか。「ナニナニ…」と話を聞いてみると、アボリジニの社会ではこのような機会に、つまり第3者が居住区からはるか海を越えた海外へ、アボリジニを連れて行った場合のことだ。万が一、当人に何かアクシデントが起こったときには、その当人を連れ出した者、つまり今回のケースではこのオレ様に、どうやら重大な責任が負わされるという。だから十分に気をつけろというのである。

具体的に何をされちゃうのか、とバーバラに訪ねると、いやはや…オレ様はまずスッポンポンの全裸にされ、見渡す限りの地平線の大地に一人ぼっちでしばらく立たされ、その後、あっちからもこっちからも先のとがった槍のようなものが、オレ様目掛けて飛んでくるんだって。「これ、脅かしじゃないよ」って、バーバラがいつになく真剣な眼差しでオレ様を見つめる。や、やめてくれ。そう思いながらオレ様の脳裏には、砂漠のど真ん中で、すでに裸体で血だらけになっている自分の姿が、はっきりと想像できたのだ。

こんなとんでもないリスクを負ってまで、オレ様はアボリジニの人達を日本へ連れて行く度胸が、いったいどこにあるというのだ。

オレ様はすぐに、キャンベラの展覧会担当者に電話をして事情を話し、この件に関して、まじめにおうかがいを立ててみた。すると「大丈夫よ。みんなには、ちゃんと保険をかけているから。そんな話なんて信じちゃだめだめ。あなたなら心配ないわよ。おほほほほほ」といかにもお気楽なのである。

何が「おほほほほ」だよ~。頼むよ~。オレ様が血だらけでヤリ攻めになったって、どうせお役人様にとっては他人事だよな。旦那も子供もいないオレ様が、あの世に逝ったって、悲しむ人は親兄弟だけだと思っているに違いない。

よし、いいだろう。やってやろうじゃないか。オレ様だって男だ(←えっ? いつからだ?)。こうなったら目ン玉くり抜かれようが、前歯を砕かれようが、オレ様はアボリジニと一緒に日本へ行くぞ!!!

………というわけで、しっかり者のオレ様は、事前にきちんと遺書を作成して、トリーザとバーバラとともに東京へ出発した。

それにしても娘のトリーザ、糖尿病というだけあってかなりの体格だ。どう見てもエコノミー席の座席にお尻が入りそうにない。

そこでチェックインの時に、「トリーザ、演技。演技。具合の悪いフリして。今直ぐ。ゴホゴホ咳き込んでりゃいいから」と、残された命ももうあとわずかだと腹をくくったオレ様に、もはや怖いものは何もない。うそつき呼ばわれされたって構わないのだ。

ひどい風邪をこじらして咳き込むトリーザの隣を空席にしてもらえば、彼女は2席つぶしてちゃんと座ることができるというわけだ。

作戦成功! 主演女優賞なみのトリーザの迫力満点の咳き込み演技に、チェックインカウンターのスタッフは恐怖すら覚えたらしく、「医師の診断書はあるのか」なんてことまで聴いてきた。

結局、2席ではなく3席分を確保したトリーザは、糖尿病用の薬をいっぱい機内に持ち込んで、快適な空の旅を十分楽しむことができた。

それにしてもこの糖尿病患者、ものすごい食べっぷりだ。日本滞在中は、珍しいタベモノすべてに興味津々。レストランではいつも2人前を注文していた。

それでも毎朝、自分で血糖値を検査し、夕方には忘れずにインシュリンの注射を太ももに打つ彼女。買い物に狂っている時でも、注射の時間になると、ところかまわず太ももにブスリと注射。さすがに手馴れたもんである。

買い物といえば、今回初来日の彼女が一番興味を示したのが、日本のアニメグッズであった。子供達へのお土産というのが当初の名目であったが、実は自分があれこれ欲しかったようで、連れて行った秋葉原の店内では、あれもこれもと手当たり次第、買い物かごいっぱいにアニメグッズを詰め込んでいた。

地下鉄を歩いていても、アニメポスターを見つけると、直ぐさま記念撮影。電車の中では、隣の席の人が読んでいるマンガ本を興味深くのぞき込み、何度も怪訝そうな顔をされたもんだ。

普段、スーパーも映画館も何もない辺境地帯(何しろ牛乳一つ買うのに、30km運転しなければならない環境だからね。しつこいようだが、人口もたったの10人)で暮らす彼女である。「日が暮れる頃には、することがないので、いつもさっさと寝てしまうよ」と言っていた。

そんな彼女に、東京の昼間の高層ビル街、夜の怪しいネオンの繁華街、いつも満員の通勤電車の光景は、いったいどのように映ったのであろうか。

彼女はしきりに「まるで自分が、映画のセットの中にいるようだ。とてもこれが現実とは思えない」と、オレ様にそう言っていたのがとても印象的だった。

さあ、そんなトリーザの日本滞在記。果たしてオレ様の命は無事なのか。それは来月号のお楽しみとさせていただこうではないか。

異なる感覚、異なる価値観

2008 年 6 月 1 日

2008年を迎えてから、オレ様はもうすでに12回程飛行機に乗っている。こうなると、まるで近所のバス停から、ひょいっと乗り合いバスにでも乗る感覚だ。しかしながら、行き先は砂漠への中継地であるアリススプリングスと日本の2ヶ所のみ。そう、今年は日本で開催するアボリジニの女性画家、エミリー展のおかげで、こんなオレ様もあちらこちらから重宝がられて、これまで以上にせっせとアボリジニアートの啓発に努めている、というわけだ。

現にこの3週間の間にも、アリススプリングスとメルボルンをそれぞれ2往復することに。

アリススプリングスの街に到着をするやいなや、オレ様まずは、東京での展覧会開会式に来日をしてもらうアボリジニの女性達の出発準備を手伝わなければならない、という使命を豪州政府から仰せ付かっていた。

今回の来日予定者は3人。すでに候補者は決定していたのだが、何しろそのうちの2人は海外渡航は生まれて初めてで、アリススプリングスの街からもあまり出たことがないという新人ちゃん達だ。したがって、まずは2人のパスポートを申請するところから、この日本行きの準備が始められたのだ。 オレ様は早速、アリススプリングスの郵便局へ行って、パスポート申請用紙をもらってきた。だが、そこに書かれてある申請の為の必要書類があまりにも多くて、オレ様はいきなりどんづまり。

当然のことながら、出生届けやら現住所が書かれてある銀行の明細書、その他年金をもらっていることを証明するペンションカード、それらをすべて今日中に揃えて申請をしなければ、日本出発までに、パスポートは間に合わないというタイムリミット付きの作業である。

日本行きに見事ノミネートされたのは、アナ・プライス姫とジェニー・ペチャラ嬢。そしてバーバラ・ウィア女王の3名だったが、バーバラはもうすでに何度も日本行きを経験しているし、パスポートも持っているから何も問題はなし。問題なのは、はるか昔に、砂漠のブッシュの木陰でポンと生まれた新人ちゃん達の出生証明書が、どこにも記録されていないということだ。

とにかく、オレ様まずは2人と一緒に役所へ足を運び、担当のスタッフにあれこれ相談をしてみた。

そこはさすがアリススプリングスの役所である。街の人口の大半がアボリジニの人々というだけあって、担当者も随分と作業に手馴れたものだった。2人にゆっくりとわかりやすい英語でいくつか質問を始める。まずは生年月日を判断する質問のようだ。

オレ様、隣でよくよく聞いてみると、その担当者は、彼女達の親族ですでに出生証明の届け出がある人達の名前を一人一人あげ、「いい? ジェニー。あなたが幼い頃、○○はどれぐらいの背丈だった?」とか「アナ? △△の子供達はあなたの子供より大きい? それとも小さい?」とか、オレ様には今一つ意味不明な問いかけをしているではないか。

しかしながら、アナもジェニーもそうであれば随分と答えやすいらしく、「自分がこれくらいの背丈だった時、 ○○はあの時計の位置ぐらいだった」と壁にかかっている柱時計を指差す。驚きだ。するとそれからは、自分達のほうから年齢が推定できるような情報をペラペラとその担当者に提供し始めるのだった。スバラシイ!これはもうお見事としか言いようがない。

結局、ああでもないこうでもないという談義の結果、1時間を程なく過ぎた頃、2人の新人ちゃん達は、無事に出生証明書を確保できたのである。ちなみにそこに書かれてある2人の誕生日は1960年1月1日と1957年1月1日であった。

「まさか、ホントかよ~~~!?」と、誰もが言いたくなるのは無理はない。2人とも揃って元旦生まれとは大したもんではないか。この際、細かいことをつべこべ言っている暇はない。ああ。めでたい。めでたい。それでいいのだ。

さて、こうしてパスポート取得に一歩近づいた新人ちゃん達。しかし、あまり感動の様子は見られない。どうやら腹が減って死にそうだと言う。近くのカフェを指差して”何か食わせろ”とオレ様に厳しい視線を投げかけるではないか。

まだまだ2人の書類を揃える為に、行かねばならない箇所が山ほどあるっていうのにだ。ここで優雅にランチなんてしている場合じゃないってことを、新人ちゃん達に言って聞かせたが、まるで通じていない。とにかく腹が減り過ぎて、もう歩けないとまで言い出す。

そうなると彼女達は、ところ構わず道端にしゃがみ込んで、動こうとしなくなるに決まっている。こうなったら仕方がない。急いでサンドイッチでも食べて、直ぐに次へ移動しよう。

2人の大好きなコーラも一緒に注文して、オレ様は日本行きの話をたっぷり言って聞かせたのであった。きっと日本がどこなのか、まるでわかっちゃいないのだろうが、それでも2人は楽しみにしている様子であった。

さて、ランチのあと、今度は銀行とセンターリンクへそれぞれ向かい、事情を説明してパスポート取得に必要な書類を、すぐに発行してもらった。

おっと、忘れちゃいけない。写真も撮らなきゃね。パスポート写真を撮るなんてそれこそ新人ちゃん達には初めての体験だ。あまりの興奮に、きゃっきゃ、きゃっきゃっと大騒ぎして、どうしても前歯を「にぃぃぃーーっ」とむき出した写真ばかりが撮影されてしまう。何度も撮り直しをして、直ぐに我々3人は郵便局へと向かった。

日中のアリススプリングスは、軽く30度を越える。もう汗だくだくである。

やっとの思いで書類を揃え、閉店時間ぎりぎりに走り込んだアリススプリングスの郵便局。するとなんと入り口の看板に「制度が最近変わりました。パスポート申請者は面接が必要でーす。しかも予約制ですからねー」と大きく書かれているではないか。

英語をうまく話さない新人ちゃん達が英語で面接を受けるのは、非常に困難なことは百も承知だ。だからオレ様も一緒に、翌日の2人の面接に立ち会うことにして、その日は家路へと向かった。「あした、面接。いいね。大事大事。パスポートないと日本行けない。オッケー?」と、2人にこれでもかというほど念を押したオレ様だが、それでも心配は尽きないものだ。なかなか寝付けないまま朝を迎えることに。

そして翌朝。 2人を前日に送り届けた場所に、オレ様は再び迎えに行ったが…2人の姿はどこにもなかった。

一緒に住んでいるだろうと思われる親族に居所を聞いてみたが、誰も2人がどこに行ったのか知らないという。アボリジニの社会では「移動」という概念がハンパじゃなく大きくて、1日に軽く700km先に住んでいる親族を訪ねる、なんてことはよくある話。……ということを、オレ様はなぜもっと早く気付かなかったのだろうか!!!

当たり前が当たり前として通用しない社会。じゃあ一体、誰を基準にその「当たり前」が誰に対して成立するのだろうか。異なる感覚、異なる価値観で、ずっとこのオーストラリア大陸を生き続けてきた先住民アボリジニの人達こそが、オレ様にいつも「あれもあり。これもあり」と、物事をそのまま真っ直ぐに受け入れることを教えてくれる。

こうして大事な面接の日に姿を消した新人ちゃん達。残念ながら今回の日本行きは断念することになったが、いつの日か必ず一緒に行けることを、今からしっかりと思い続けよう。

大阪珍道中 その2

2008 年 5 月 1 日

いやはや。はるばる8,000kmの海の向こうから、エミリー・ウングワレ展覧会の特別ゲストとして招かれたアボリジニの女性画家、バーバラ・ウィアとグロリア・ペチャラと共に過ごした日本滞在1週間。

気温40度の砂漠から、いきなりマイナス1度の大阪へ旅立った我々3人は、窓の外からチラチラ舞う雪を見ながら、熱々のミルクティーを毎日ドンブリで4~5杯飲みながら、実にいろいろなことを語り合った。

ご存知の通り、白人との混血であるバーバラは、幼少の頃当時の豪州政府の政策によって親元から強制的に引き離され、その後をずっと白人社会での生活を余儀なくされたおかげで英語がとても流暢である。したがってオレ様も通常、彼女とは英語でやりとりができるというメリットがあるわけだが、人生の大半を砂漠のブッシュで、しかも自分の言語(アマチャラ語)だけで育ったもう一人のグロリアは、なかなかそうはいかない。

それでも、こちらの言う英語は随分理解をしてくれているようだが、彼女から発せられる英語の単語はそうそうあまり数多くないので(しかもとても強いアクセントがある)、その都度、オレ様は「今、彼女が意図していることは、これこれこうなのかもしれない…」と、いつも様々な想像をめぐらしているのである。

もちろん、それはあくまでもオレ様の想像でしかないゆえに、時折100%間違っていることがあるのは当然だ。…というかほとんどがそうだ。

それでも本音と建前を上手に使い分ける我々日本人社会とは違って、アボリジニの人々は、嬉しい時には転げまわって大笑いするし、悲しい時には人目もはばからずに大声で泣きじゃくるし、逆に怒っている時には顔をマッカッカにして怒鳴り散らす…という、とても真っ直ぐな人達であるゆえ、彼女達の感情を理解するのは意外と容易であると、オレ様は思っていた。

おまけに「人間同志のコミュニケーションは、決して言葉だけではない!」と日頃自負しているオレ様である。だってそうでもしないとアボリジニの人々との10年以上にもわたる交流は全く不可能であるからね。

だから英語を共通語としないグロリアとの会話だって、それほど支障をきたすことはないだろう…と過信すらしていたのだが、やはり日々の普通の会話が思うように成り立たないという現実は、お互いのフラストレーションを増長させる要因でもあるということを、今回随分学習したものだ。

グロリアは、とにかく腹が減ると途端にご機嫌ななめとなる。その時がたとえ国立美術館の館長との大事なミーティングの真っ最中であろうが、東京の地下鉄銀座線の中であろうが、いかなる状況下においても、まずは自分の腹を今直ぐ満たすということを何よりも優先とする。満たされなければ、すぐにオレ様をギロリとにらんで、「腹減ったから何か食わせろ」攻撃になるのである。

だからオレ様はいつも彼女の満腹加減をうかがいながら、その日のプランを立てる必要があったのだ。

著名な画家ゆえ、グロリアはこれまで世界各国を展示会の為にあちこち回っている。ロンドン・パリ・ニューヨーク・インド・スコットランド・アイルランド…国名を挙げたらキリがない程だ。

そんな中で、今回初めての訪問となった日本。何よりも食うことを重んじる彼女ではあったが、どうも日本の食事が今一つ口に合わないというではないか。…ふむむ…こりゃ、困ったぞ。そこで、雪がチラチラ舞う極寒の中、オレ様は何度コンビニまでダッシュをして、彼女の好きそうな食材を調達しに行ったことだろう。いいですか? ダッシュですよ。ダッシュ!! そんなの高校時代の部活動以来ですよ。ほんとに。

息をぜーぜー切らしながら、滞在先であるウイークリーマンションに戻って、テーブルいっぱいにのせきれない程の食事を用意したにもかかわらず、「日本のパンは甘すぎて食べられない」とか、「このフライドチキンは鶏肉の味が違う」とか、「オージービーフも子牛は変なにおいがするから食べない…」とか、もうああでもない、こうでもない、と文句を言って、ちっとも手をつけようとしないのだ。

食べなきゃ、腹が減ってまたご機嫌ななめになる。そうなるとオレ様をまたギロリとにらんで文句を言う。

こうなったら、これまで全く口にしたことのない食事を体験させてしまおうではないか! と考えたオレ様は、大阪市内で友人の母上様が経営されているという老舗中の老舗である「お好み焼き、ぽん太」に、バーバラ・グロリア、その他大勢をを連れてお邪魔したのであった。

そこはカウンター10席のみの、まさに家族経営のフレンドリーなお店。とにかく気のいいママさんが、我々の目の前で、その日に仕入れた新鮮な食材をふんだんに使ったオリジナルメニューを、これでもかという程、披露してくれる粋なレストランなのだ。そこへ一度行ったお客様はたちまち常連になってしまうらしい。

するとどうだろう。これまで「あれがヤダ。これがヤダ」とずっと言い張っていたグロリアが、ママさんの作る手料理のオンパレードに、どれもこれも舌鼓を打ち、とにかくこれでもかという量を平らげたではないか。バーバラも「おいしい。おいしい」と言って、目の前の鉄板から手づかみでジャガイモをほおばる。これにはオレ様も、さすがにおったまげたもんだった。

チャキチャキ関西人のママさん。そんなグロリアとバーバラの食べっぷりを喜ばないわけがない。…というか、あの嬉しそうな2人の顔を見ただけで、オレ様は「食事こそ我々に言葉はいらない。最高のコミュニケーションだ!!!」と確信できたのであった。ママさんには頭が下がる思いである。

見知らぬ土地で、見知らぬ人達と、見知らぬ食事を毎日とるということが、どれだけ2人のストレスになっていたことだろうか。考えてみれば、これは普段、オレ様が砂漠のアボリジニ居住区へ赴いて毎日、トカゲだー、アリンコだー、イモムシだー、って彼等のご馳走を食するストレスと全く一緒なんだよね。隠れてこっそり「赤い○つね」「緑のたぬ○」を食べちゃいたい心境になるのと全く同じ。

人間、食事からホームシックにかかるというのは、まさに本当の話なのである。

そんなこんなでグロリア、バーバラの日本での食事には手を焼いたオレ様であったが、それでも彼女達が楽しそうに日本を満喫してくれている姿を目にするのは、このうえなく嬉しいものであった。

それでも、デパートでいきなり消息不明になる2人である。もちろん携帯電話も持っていないゆえ、あの人混みで見失ったらそれこそアウト。はい、さようなら~~~ではないか。

とてもオレ様一人では手に負えないことから、あっちこっちの友人達にSOSの緊急招集をかけ、それぞれを密着でアテンドしてもらって、無事に買い物を済ませたという、涙ぐましい物語を繰り広げたのである。

お世話になった皆様方、本当にありがとうございました。

これに懲りず、5月末に開催するエミリー東京展の開会式にも再び我々来日しますので、ぜひともご一緒させてくださいな。ね、ね、いいでしょう? というわけで、大阪での日本滞在ハプニング報告がまだ全部終わらないうちに、オレ様は次の東京展にいったい誰を来日させるべきか、日々頭を悩ませているのであった。

大阪珍道中 その1

2008 年 4 月 1 日

雪がチラチラ舞う関西空港。そこへオレ様は、アロハシャツのような薄っぺらいシャツだけが20枚入ったアボリジニの女性画家・グロリアのスーツケースをガラガラ引きながら到着。なんたって、シャツしか入ってないんだから、軽い軽いこのケース。分厚いコートを早く見つけなくちゃね。

同行したバーバラ姫は、これで3度目の来日(でも大阪は初めて)。余裕を見せていきなり自動販売機で温かい缶コーヒーを買いに行く。どうやら前回の日本滞在中、あのうまさにはまったらしい。

当初は『日本ヘは行きたくない』と言い張ってオレ様を随分困らせたバーバラだったが、いざ到着をしてみると、どうやらまんざらでもないようだ。

しかし、ケアンズ空港で国際線のチェックインをした時に、実は大変なる事件が起こったのである。

ご存知のとおり、バーバラのパスポートには生年月日が記載されていない。○○日、○○月、1945年とだけ書かれている。

まあ、これはブッシュの中で生まれたアボリジニの人達には決して珍しくないことなのだが、その時のチェックイン担当のおねーちゃんがどうやら新人さんだったようで「生年月日がちゃんと書かれていないと、コンピューターに入力ができません。つまり搭乗券が発行できないんです」と主張するではないか。

すると、バーバラ姫。間髪を入れずに「あんた、私を誰だと思ってんの。有名なアボリジニアーティストなんだよ。私はこのパスポートで世界中、どこにでも行ってんだよ。パリ・ロンドン・ニューヨークにね。

この間なんて、イギリスのチャールズ皇太子からディナーの招待状だってもらってんだ(あ、これホントの話ね)。その私がチェックインできないとは何事だ!」とそれはそれは大きな声で、そのおねーちゃんをやっつけるではないか。

さすがのオレ様もたじろいだが、いやはや、とにかくチェックインしてもらわないことには日本へ行けないわけであるから「なんとかしてよね」と怪しく笑って、おねーちゃんに懇願するばかりだった。

結局、奥からスーパーバイザーのオエライさんとイミグレーションの担当者までがカウンターにやってきて、やんややんやの1時間。おかげさまで無事に搭乗券はもらったものの、バーバラ姫のご機嫌が一気に悪くなったことは言うまでもない。

「だからあたしゃ、日本へは行きたくないって言ったんだよ。こんなトラブル、もうごめんだね」とヘソを曲げるお姫様。

アロハシャツ嬢のグロリアは、もうそんなこと、自分には関係ないという顔をしながら、オレ様に口をパクパクする様子を見せて「腹減った。何か食わせろ」とただそれだけ。

言っておきますが、これはまだ初日の話。それゆえ、この先、一体何が待ち受けているものか、オレ様は日本行きの機内で、あれこれとシュミレーションを試みたほど。

まあ、しょっぱなからそんなハプニングがあったはものの、日本到着後のバーバラ姫はいたってご機嫌のようなので、ひとまず安心。

オレ様、これまで何度もアボリジニの人達を日本へ連れてお世話した、という変な自信があったが、それが今回の日本滞在で見事に音を立てて崩れたことは言うまでもない。

バーバラ姫はともかく、アロハシャツ嬢のグロリアは、かなりのトラディッショナルなアボリジニの女性だということを、オレ様もう少し学習しておくべきだったと深く反省をしたものだ。

一番困ったのがやはり食事。何を食べさせても駄目。駄目。雪が舞う中、オレ様は何度コンビニまでダッシュして、あれこれと彼女が好きそうな食材を調達したことだろうか。

それでも駄目、駄目だった。挙げ句の果てには真夜中、腹が痛いとトイレへ駆け込んだグロリア嬢。ここからはもう誌面では申せません。

オレ様、その夜は一晩中、便所掃除に明け暮れたことは言うまでもない。自分のう○こも結構臭いとは思っていたが、他人様のう○こがこんなにも強烈だったことを初めて学んだ。アボリジニの人達との共同生活は学習することがたくさんだ。

結局食事は、部屋で調理して食べることにした。スーパーでオージービーフを目にした時の彼女達の満面なる笑みが、オレ様今でも忘れられない。

それでも一日、一日過ぎるごとに、グロリアもバーバラも次第に慣れてきた様子がうかがえ、オレ様もほっとする。なにしろ2人は、今回のエミリー展開会式に、わざわざオーストラリアのど真ん中から招かれた特別ゲストなんだからね。

始終ハッピーであってもらいたいと願うオレ様は、もうこの1週間は彼女達の奴隷に徹しようではないかと心に決めた。観光からショッピングから、彼女達が望むことはすべて「ほほほ~い」と2つ返事で叶えてやった。

しかし、値札も見ずに、ほしいものをじゃんじゃかこれでもかと、勝手にレジに持っていくバーバラ姫。レジの人に「合計27万8000円です」と言われたが、もちろんそんな大金持っているわけはないし、それを通訳するのは、このオレ様の役目。

その金額が豪ドルでいくらなのかをバーバラに告げると、彼女は「やっぱ、いらない」と早々に店を出て行く。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ほんとにごめんなさい」と頭を下げてオレ様も逃げるように店を出る。それを横で見ながらグロリア嬢は「腹減った。何か食わせろ」と、これまた口をパクパク。

ああ。今日はほんとに、まだ2日目なのだろうか。このままじゃ、オレ様、血管ぶち切れて明日の朝、目が覚めないかもしれない。そんなことを心配しながら、すぐに携帯で京都在住の友人にSOSを入れたのであった。

まだまだ続く女王様達の大阪珍道中。次号をぜひともお楽しみに。