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「アボリジナルアート展覧会を日本で開催したい のですが」そんな申し出をファックスで受けたのが 1998 年の9 cheap NFL jerseys 月のことであった。いまからかれこれ2 アボリジナル村への訪問wholesale NFL jerseys 半も前のことである。

申し出をしてきたのは世界一の発行部数を誇ると いう読売新聞社。私は一気に興奮し、鼻の穴を大きく アボリジナル?アート はじめのおはなし 膨らませながらすぐに日本へ電話で読売新聞社文化事業部に問い合わせ詳細を聞いたが、何しろまだまだ知名度は決して高いとはいえないオーストラリアのアボリジナルアートである。彼らは展覧会を開きたい Jay のだがいったい何から手をつけてよいのかわからないという。それもそうなのだ。いまだに「何それ?知ら ない」と言い切る日本人は多い。そのうえ、つい30 wholesale jerseys 年前まではこのオーストラリアで人口統計にさえ入って いなかったアボリジニたちが現在この大陸に実に25 万人近くも住んでいることを知る人だってまだまだ少ないのである。そしてその彼らが、いまや年間200万ドルもの収益をこのオーストラリアにもたらしているということも。それが、"アボリジナルアート"なのだ。

日本ではこれまでにも過去に"アボリジニ展"は行われている。そう、"アート展"ではなくそれらは彼らアボリジニを民族学的に研究した、いわば学術的な展覧会ばかりであった。それを今回はアボリジニ美術に焦点を置いた「アート展」として開催したいという試みなのだから非常に興味深い。

「よーし、ここで私の出番だ」と確信した。エネルギ ーが一気にみるみる湧いてきた。私の人生にそれは それはダイナミックに、そしてドラマティックに登場してきたこのアボリジナルアートの展覧会をいつか日本で開催すること・・・これは私にとっての大きなゴールでもあり、また夢でもあった。この歳になって・・・私にもまだ見たいと思える"夢"があっただなんて・・。久しぶりに心臓の奥がチクチクするような、そんなうれしい感覚を覚えたのである。

一概にアボリジナルアートといっても様々なスタ Player イルがあり、それらはもちろん数百にも異なる言語 集団によって、また大陸のどの地域に住んでいるかによっても描かれる画布や素材、そしてストーリーが変わって来る。 私の専門はオーストラリアの中央砂漠に住むアボリジニ達がプロデュースする「点描画」,いわゆる「ドッ Collecting トペインティング」と呼ばれるものである。私が作品を仕入れるためにはこちらがはるばると砂漠へ足を運ばなければならない。彼らが都市にやってきて自分達で販売をすることはほとんどないからだ。まれにやって来ることはあっても、普段の砂漠での暮ら しとの大きな違いにいつも大きな戸惑いを見せる。私が砂漠に行ってドギマギするのと同じように。

いつだったであろうか。ある有名アボリジニアーティストが展覧会のオープニングのために中央砂漠 からメルボルンに来たことがあったが、街のストリートの名前が読めない彼は案の定道に迷い、帰り道に困りそのまま姿を消してしまった。そして3 日後、 彼は郊外のパブで泥酔状態になったところを発見されたのである。

またあるアボリジニ女性アーティストが我が家に遊 びに来た時に、お腹を空かせた5人の子供達を連れて来 た彼女は、我が家の冷蔵庫のものをきれいに食べ尽くして、当たり前のように私の靴を履いて帰って行った。 "アボリジニ達は多くのものを共有する"と、以前本で読んだ事があるのを思い出し、「ああ、なるほど このことか」と思った。それにしたってなにも買ったばかりの、しかも私のお気に入りの靴にしなくてもいいじゃないか。

話を本題に戻そう。1998 In 年に最初の一歩を踏み出した読売新聞社の"アボリジナルアート展"の企画・準備も今年2001 年4 雨の砂漠 月に念願かなってようやく実現する。いままで大事に温めてきたものがやっと"カタチ"になるのである。当初は『企画は面白いが、いざ実現となるとねえ、みんな知らないからねえ。お客さんなんて入らないんじゃないかなあ。』そういって多くの日本側の美術館は尻込みしてなかなか開催しようと手を上げてはくれなかった。

『・・ですから、そこを何とかお願いします。いまやアボリジナルアートはですねえ・・・』と幾度も頭を下げて帰国のたびに重たいカタログをエッコラエッコラかついで様々な美術館に足を運んだ事も記憶に新しい。日本での開催は4月から12月までを3つの美術館がそれぞれ巡廻で展示する。カタログの日本語翻訳もすでに終了し、あとはオープニングセレモニーへの出席を待つばかり。
"感極まって、ワーワー泣き出さないでよ。内田さん"と読売新聞社の担当の方にからかわれながらも これまでの長い長い道のりを想い出しながら"思えば叶う"と信じてきた自分に今は少しぐらい酔いしれてもいいかしらと思っている。

何度も「もう、無理です。日本では出来ません。諦めてください。」と読売の担当者に言われながらも素直に「そうですか」と返事が出来なかった自分がいつもそこにいたのである。1998年に最初にもらった企画 Jerseys 申し出のファックスはいまはもうかなり黄ばんで印字もだいぶ薄くなってしまっているのだが何故かそれを見るたびに元気になれたことも事実である。

自分がこれほどまでに魅せられた"裸足のアーテ ィスト"たちの見事な芸術を日本に紹介すること、こ れがいよいよ実現するのだから興奮もひときわだ。

芸術に解説なんて必要なし。まずはひとりでも多 くの人々に作品をご覧になっていただきたい。そして私が感じた"ドキドキ"をぜひとも共有していただきたいと思っている。