長い長い間、自分が想い描いていたひとつの大きなゴール。それはオーストラリアのアボリジナルアートを自分の手で日本に上陸させること。その夢を実現するための日本への帰国。私の胸は高鳴りつづけた。

東 京

3月21日

展覧会のオープニングに先駆けて、一ヶ月の滞在予定で総量75キロの荷物と共に日本帰国。「随分荷物が多いですね。中身は何ですか?」という税関のおにいちゃんからの質問攻めも、作り笑いで見事クリアをし、笑顔の両親が待つ成田空港に定刻通りに到着。

3月22日

新聞社との打ち合わせのため久しぶりに山手線に乗り少し戸惑う。車内は広告だらけ。それらに片っ端から目を通すと何となく日本の経済事情と芸能情報が把握できてしまうから面白い。日頃メルボルンで私はやたら知らないおばちゃん達とトラムの中でおしゃべりするのだが、ここはそういうわけにもいかない。

3月25日

オーストラリアから今回の展覧会のために発送したアボリジニ絵画は総数117点。これらの通関作業に立ち合うためヤマト運輸美術品管理倉庫などという、生涯もう二度と行くこともなかろう場所に朝の9時から夜の10時までずっと立ち合い、作品のコンディションを細かくチェック。なにせ、これらの絵画の総額は wholesale nba jerseys 10億円近いのだから扱いも慎重になるわけだ。それにしてもここは寒い、まるで冷蔵庫のよう。

3月29日

展覧会のカタログ制作もほぼ順調に進んでいる。が、アボリジニの名前がとてもややこしいものばかりで、確認の電話が随時入ってくる。時計を見ると深夜0時過ぎ。担当者はまだ会社に残って仕事をしているという。さすが日本人ビジネスマン。

北海道・旭川

4月5日

今回の展覧会出品者であるギャラリーオーナーが成田に奥様同伴で到着。北海道旭川美術館でのオープニングセレモニーのための来日である。ところがこのころからどうも私の体調がおかしくなってくる。冷蔵庫のような倉庫に11時間もいたせいか。それにしても苦しい。熱も出てきた。38度7分もあるぞ。

4月8日

こんな大事なときに私としたことが!何しろオーナー夫妻は日本語ダメダメの二人。日本滞在中の通訳と状況説明が随時必要となる。でも、熱で自分の身体が言うこと聞かない。ああ、静かにベットで寝ていたい。もしかしたらこのまま死んじゃうのではないか。

4月10日

3 wholesale mlb jerseys 年越しの想いがようやくいまカタチになろうとしているというこんなときに・・・そしてあと数日後には念願のオープニングセレモニーを迎える日が来るというのに。私は出発前に買い込んだ風邪薬を危ないくらい大量に服用し、汗をガンガンかくように洋服を重ね着して、とにかく少しでも体調回復を・・・心からそう願う。

オープニング・セレモニー

4月13日

午前9時30分いよいよオープニングセレモ二ーの始まりだ。ほとんど眠れなかった。きっと緊張もあったに違いない。いやだな。目が腫れている。化粧のノリも悪い。何たって体調は最悪。熱もまだある。

進行手順を説明されるがほとんど頭に入らない。会場に次々と入ってくる来賓ばかりに目が行く。胸に赤と白のリボンを付けられ、私は最前列にオーナー夫妻と一緒に並ぶ。胸の鼓動がもしかしたら彼等に聞こえてしまうのではないか。

この展覧会をこうして現実のものに出来るまでの長い長い3年間の道のりをゆっくりと思い返していると、「アボリジナルアートコーディネーターとしてずっとこの企画に携わって来た・・・」私の名前が紹介されると同時に会場からの大きな拍手。このとき私は、背中に鳥肌が立つという経験を初めてした。顔を真っ赤にしながら「ありがとうございます」と何度も何度も来賓者に私は頭を下げる。

これまでに幾度となく「もう展覧会はできない」との新聞社からの電話に涙を流し、ヤケ酒を飲み、落ち込んだが、今では良い思い出となる。 wholesale jerseys 「思えば叶う」と信じていて、本当によかったと心から思えたこの瞬間は生涯忘れることはないだろう。

さて、これまでの自分の大きな「ゴール」であった展覧会開催にやっとの思いをしながらも到達をした今・・・今度は次のゴールを設定しなければならない。 wholesale jerseys 人生晴れたり曇ったり。よーーっし。まだまだ興奮することを見つけるぞ。

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