現代美術界を驚愕させたエミリー・ウングワレーの作品は、いまや世界各地の著名な美術館に所蔵されています。学校教育を受けず、文字を持たない文化の中で生きた彼女が初めて絵筆を握ったのは78歳。衝撃的なデビューでした。そして86歳で亡くなるまでの8年間に3000点もの絵画を残したという奇跡。2008年に東京と大阪で開催された大規模な展覧会には延べ12万人もの来場者を記録し「記憶に残る素晴らしい展覧会だった」と今でも多くの人々に語られています。
始まりは1988年から1989年にオーストラリア・シドニーで開催された展覧会でした。カタログの表紙を飾った一枚のアボリジナルアート。それを見た人々、とりわけ美術関係者の間で「一体誰がこの絵を描いたんだ?」と話題騒然となりました。
それまでのアボリジナルアートは、生活様式を表す記号や場所が描かれた、具象画に近い作品がほとんどでした。しかし、表紙を飾ったその絵は、細かいレイヤーで重ねたドットの色彩がとても美しい、まるで西洋美術の抽象画のような作品だったのです。

彗星の如く現れたアボリジナルアーティスト。それが、当時78歳だったエミリー・カーメ・ウングワレーでした。エミリーはオーストラリア北西部のシンプソン砂漠の端にある「ユトーピア」と呼ばれる地区で生涯暮らしました。最寄りの街までは300キロも離れていました。
エミリーは、先祖代々受け継がれてきた「ドリーミング」と呼ばれる神話(ストーリー)を重んじ、儀式を通じて次世代へ伝承しました。儀式では、水一滴ない乾燥した過酷な砂漠で生きていくための大切な「大地との関わり方」を歌や踊り、そして身体と大地に描く絵画を使って記憶をしたのです。
学校教育を受けず、文字を使わない文化の中で生きたエミリーでしたが、当時の豪州政府による先住民芸術啓発プロジェクトの推進をきっかけに、1977年からバティック(ろうけつ染め)の制作を始めました。その後、カンヴァスにアクリル絵の具で絵を描き始めたのが1988年、エミリーが78歳の時でした。
それ以来、86歳で亡くなるまでの8年足らずの短い期間に、絵画のスタイルを幾度も変えつつ、3000点以上もの独創的な絵画作品を生み出しました。

そんな衝撃的なデビュー以降、「アボリジニが生んだ天才画家」と評され、オーストラリア国内はもとより、海外でも高い評価を得たエミリー・ウングワレー。彼女の作品を求める熱狂的なコレクターは後を絶たず、現在においてもその人気は衰えることがありません。
エミリーが描くストーリーは常に、部族が伝承してきたドリーミング。それは我々人間の根源的な部分、宇宙の成り立ちにも通ずるのではないでしょうか。彼女の作品は、近代文明とはかけ離れた生活環境から生まれたとは思えないほど、現代アートの最先端に位置付けられます。その絵画からは、何かを超越した、この世のものとは思えない強い力を感じるのは私だけではないと確信しています。