私とアボリジナルアートの出逢い

私の人生にこの“アボリジナルアート”が登場して早くも30年の月日が流れました。

生まれ故郷である茨城を離れ、気付けば東京を出て今度は日本を脱出。そしていつの間にかオーストラリア中央砂漠で暮らす先住民族アボリジナルピープルとそれはそれはたくさんの時間を共有する人生を選択していました。

大企業に入社をし、念願の客室乗務員(CA)になったはものの、その安定した職業には6年で終止符。あー、もったいない…誰もにそう言われましたが、“自分が本当にやりたいこと、自分探しの旅”に出ることを決意し、たった二つのスーツケースと「地球の歩き方」を抱えてエイヤー!と渡米。

もちろん現地に知り合いはおらず英語もゼロレベル、そんな中での海外生活スタートでした。

アメリカには一年間滞在。貯めたはずの預金は無くなる一方でしたが、体重は増えるばかりでした。見事なアメリカンサイズのハンバーガーにアイスクリーム。原因はそれにしておきます。

その後はオーストラリアへ日本語教師として渡豪し、日本人が私一人だけという小さな村の小学校に1年間派遣されました。ビザが切れる帰国直前に、“雨宿り”がきっかけで飛び込んだメルボルン市内のアボリジナルアート専門ギャラリー。

そこで「事件」が起こりました。

まさかのまさか。そこで私の人生が大きく変わるとは誰が想像をしたことでしょう。

ギャラリーのオーナーから日本人スタッフとして仕事をオファーされました。 長い長い人生の途上でまったく予期せぬ運命の訪れです。それでも迷ったのはわずか数分間。アボリジナルアートに関してはまるで知識のない私でしたが、作品から放たれる強い力に「何か」を感じたのはいうまでもありません。

新たな一歩を踏み出す決心をしました。

未知なるアボリジナルアートを学んでいく中でアボリジナルピープルの深遠なる文化にたちまち魅了され、彼らの不思議な芸術にただただ夢中になっていく自分がいました。

1997年11月に初めて中央砂漠のアボリジナル居住区へ赴きました。メルボルンの自宅から2800キロ離れた場所です。

「またすぐにでも訪れたい。そしてもっともっと長く滞在をしたい」心からそう思える場所でした。

そこから私のフィールドワーク調査・自称「住み込み調査」が始まったのです。 調査と言っても私は学者ではないので仕事の休暇が取れた時に居住区へ通ってアボリジナルの人々と生活を共にし、一緒に狩りに行き、絵画の真髄をとことん学んだりといったユニークな活動です。それは言葉では表せないぐらいとても楽しいものでした。

現在はギャラリーを退職し、フリーランスとしてアボリジナルアートの日本市場拡大に努めています。

展示会の企画・作品の販売はもちろんのこと、大学での講義やメディアのコーディネートなどアボリジナルアートの魅力を一人でも多くの日本の方々へ伝えるべくそれを自分のライフワークとして日々活動中です!