1945年ごろアリススプリングスの北東ユトーピアに生まれた女性。アボリジニの母とアイルランド人の父を持つ彼女は両文化の特徴が上手く調和されたユニークな性格の持ち主である。

1950 年代に、オーストラリア政府が行った政策により彼女は9歳のときに無理やり両親のもとから引き離されてアリススプリングス・ダーウィン・ブリスベンなど次々と違う白人家庭のもとへと引き取られていった。そうしているうちに、自分の言語もだんだんと忘れていきいつのまにか白人社会へと染まっていったのである。だが、心の片隅にはいつも“自分の故郷ユトーピアへ帰りたい”という気持ちが強くあったため、1970年代はじめに自分の意志で再び戻って行ったという。

しかし自分の本来の言語である“アマチャラ語”をほとんど覚えていなかった彼女は、故郷へ帰っても誰ともコミュニケーションが取れずにいたが、その彼女の幼い頃を鮮明に覚えていたのが現在オーストララリアで最も偉大なアーティストであるエミリーであったのだった。

それからというものの、彼女は再びアマチャラ語を学び直しユトーピアにもたびたび訪れるようになりエミリーとの日常の強い接触、また彼女の画家としての才能に大きな影響を受け自分自身も画家として活動し始めたのが1990年ごろであった。

現在、アボリジニ社会と白人社会との狭間に立った彼女の描く独創的なスタイルには大きな注目が集められ、オーストラリア国内はもとより海外でもその評価は高い。

1996年には日本のメディアにも登場し(NHK教育『日曜美術館』)広大な赤い大地で描かれるアボリジナルアートダイナミックに表現し視聴者から大きな反響を呼んだ。それに続いて2001年にTBS『世界ウルルン滞在記』にも主役として出演し、日本における彼女のアボリジニ画家としての存在を更に大きなものとした。

2001年、読売新聞社主催であった日本で初のオーストラリア先住民アボリジナルアート全国巡回展においては11月に福島県いわき市立美術館より特別ゲストとして招待を受け来日をしている。その際にはアイヌ刺繍家で著名な宇梶静江さんとの対談も行い同じ先住民として現在抱えている問題点などを談義し地元マスコミに大きく取り上げられた。

2002年8月には小豆島で開催された豪州アウトバックのイベントにも特別ゲストとして招かれ再来日をしている。