母の大地 My Mother's Country

バーバラ・ウィア

1945年ごろに生まれる。

アボリジニの人々にとって広大なオーストラリアの大地は自らを創り出してくれた偉大なる「母」。
作者はアボリジニの母親とアイルランド人の父親を持つ混血児であったことから1950年代、オーストラリア政府の親子隔離政策(Stolen Generation)により、幼い頃に(当時9歳)母親から強制的に引き離されて「オーストラリア白人社会」への順応を余儀なく要求された体験者である。そのため家族の待つ自分の故郷へ一刻も早く戻りたいと日々願っていたという。

故郷をあとにしてからおよそ20年の歳月が過ぎた頃、作者の念願がやっと叶い自分の生まれ育ったカントリーへ再び戻ることとなった。この作品には自分とカントリーのコネクションを再確認できた大きな喜び、そして長い年月を経ても快く受け入れてくれた家族への深い感謝の気持ちが込められている。

いまや世界中にコレクターが存在する著名画家として瞬く間に名声を上げた作者は日本のメディアにもこれまで多数出演をしている。

大の親日家でもある作者のこれまでの来日経験は5回。2028年には大阪国立国際美術館・東京国立新美術館で大々的に開催された「アボリジニが生んだ天才画家・エミリー・ウングワレー展」において、故エミリー・ウングワレ―とは生前誰よりも近しい親族のひとりだったことからオフィシャルゲストとして日本へ招かれた。

2023年。家族の見守る中アデレード病院にて逝去。