“腹が減っては戦ができぬ”とはよく言ったものだ。

今年の5月、オレ様は豪州先住民アボリジニの女性画家2人を来日させ、「愛と涙の日本滞在記」を1週間ほど繰り広げたわけだが、彼女達のまぁ、食いっぷりのいいことには実にたまげたものであった。

とにかく朝から晩まで食いっぱなし。いつも腹ペコな状態なのである。まずは朝食からコンビーフ(大)の缶詰を開けて、丸かじり。その後ランチまでの間に、甘くてぬるーい紅茶をドラム缶のようなカップでゴクゴク飲み干す。そしてランチはパスタにカレー大盛り。カレーの中の肉が少ないと怒られるオレ様。

一度連れて行ったファミリーレストランでは、そこが大変気に入ったらしく、毎日同じところへ行きたいとダダをこねる2人。「何が食べたい?」とファミレス特有の写真つきメニューを見せると、間髪入れずに特大ジャンボステーキを同時に指差す彼女達。メニューにはおいしそうな鉄火丼やら長崎ちゃんぽんラーメンなど多々あるのに、彼女達の目はもはやジャンボステーキに釘付けなのだ。

そりゃそうである。アボリジニの人達にとって、鉄火丼もちゃんぽんラーメンも、これまでの人生の中で一度も見たことのない怪しい食べ物なのであるから。いやはや。きっとそれらは食べ物とは認められていないかもしれない。したがってどんな味がするのかさえ彼女達には想像がつかないのは当然であろう。

考えてみれば、オレ様が初めて砂漠のアボリジニ村で、白くプクプク太ったイモムシ様を目の前に出されたとき(しかもそいつはゆっくりと動いていた。おまけにオレ様とばっちり目があったりもした)。「これ…って。絶対に食べ物であるはずがない!」と脳が自動的にNOサインを出していたのとまったく一緒のことである。

脳がNOを…あぁ、久しぶりにくだらないダジャレまでが飛び出てしまった。最近のオレ様の疲れはどうやら半端じゃないようだ。

さて、彼女達が喜んで指差した特大ジャンボステーキは、なんと¥2,980もするではないか。こんなのを2人に毎日食われたら、たまったもんじゃないだろが。そこでオレ様は何食わぬ顔で、メニューの次のページをさっさとめくり、色とカタチがビジュアル的にもかなり似ている¥980のハンバーグ定食を勧めたところ、意外にも簡単に2人は納得。

やれやれ、これでひと安心…する間もなく、ランチが終わると、今度はすぐに夕食を考えなければならないのである。寿司・天ぷらは絶対だめだめ。「せっかく日本に来たんだからおいしい和食でもご馳走させて欲しい」と周りの友人、知人たちから心温まるオファーを受けるのだが、アボリジニの人達には、残念ながらあまり喜ばれないのである。彼女達にとっては、たとえそこが日本であってもイタリアであっても、毎日自分達が口にしているものと同じ味付けのものでないと安心をしないのだ。したがって日本滞在中も、我々は連日ケンタッキーフライドチキンやらマクドナルドへ幾度と通い、彼女達ができる限りホームシックにかからないようにと配慮したものだった。

“人間は食生活からホームシックになるものだ…”と以前読んだ本に書かれていたことを、ふと思い出す。実にそのとおりだと納得するオレ様。なんたって実際に自分がそれを体験したことがあるからなおさらなのである。

初めてオーストラリアへ来たとき、オレ様はボランティアの日本語教師で、それはそれは小さな田舎町に、たったひとりの日本人として1年間派遣された。滞在中はホームステイが原則だったゆえ、食事はすべてホストママさんが用意してくれる。来る日も来る日も、わらじのようなでっかいステーキが食卓に並べられた。ただでかいだけならまだいいが、それはいつも真っ黒焦げに焦げていて、いくらナイフとフォークを上手に使っても、なかなか引き裂けないほどニクタラシイ肉のかたまりであった。オレ様は毎日、ステーキよりも大きなため息をつきながら、その肉と格闘したものだった。

「今日はあまりお腹が空いていませんから、夕飯は結構です」とウソをついたこともあった。そんな晩、オレ様は自分の部屋に入り、日本から持ってきたたくあんの漬物を、隠しておいた机の引き出しをそぉーーっとあけて、切るのが面倒だからと長いままポリポリかじっていた。そのとき鏡に映った自分の姿を見て、うっとりしたものだ。たくあんを無心でむさぼる日本人女性の姿は、誰よりも美しい。そう確信した。

これで真っ白いピカピカ光るご飯があったらオレ様、もう死んでもいいとさえ思った。

そのとき背後から「MAYUMI! 何やってんの!」との声。オレ様、長いたくあんを口にくわえたまま振り返ると、そこには一番下のクソガキが、まるでゾンビでも見てしまったかのように、驚いて立ちすくんでいたではないか。

しまった…! 見られてしまった…!!!

思いがけないアクシデントに、オレ様、言い訳もままならず、「これはね。日本の薬なんですぅぅぅぅぅ」と声を半オクターブほど裏返して、そのクソガキに説明し、おまけにそのたくあんのにおいまでかがせてみせた。

「くっせー!!! なんじゃそりゃーーー???ママー! ママー!! MAYUMIが変な臭いのするものを部屋で食べてるよーー」と走って、台所にいるホストママにわざわざ報告をしに行ったではないか。クソガキめ。明日のおめーーの弁当箱に、このたくあん1本丸ごと入れてやるでーーー。 …と、食事からくるストレスのせいで、オレ様いつになく荒々しい口調になっていた。懐かしい14年前の話である。

ところで、日本滞在中アボリジニの女性画家達は、決して毎日食ってばかりいたわけではない。今回は友人ご夫妻が、新しくオープンしたアボリジニアートカフェ「チャンガラカフェ」のオープニングイベントに招かれたことが一番の理由であるゆえ、彼女達は連日キャンバスと絵の具を前に、たちまちアーティストに変身した。一点一点、自分達の魂を入念に込めてキャンバスへと表現する姿は、オレ様のたくあん丸かじりと匹敵するぐらい美しい。

周りで観ていた観衆も、思わず息を飲む。ひとり一人真剣な眼差しで、彼女達の制作風景を見入っている様子であった。はるか8,000kmも離れた海の向こうの砂漠のど真ん中から、はるばるやってきたリネットとオードリーの心に“日本”はいったいどのように映ったのであろうか。自分自身がアボリジニとして大きなプライドを持ち、5万年にも渡って継承されてきた太古からの大地のメッセージを今、彼女達はここに表す。

オレ様を含め、自分達の人生のなかには、生活に直面する様々な問題が山積みだ。それが知らず知らずストレスとなり、いつの間にか心と身体のバランスをくずしてしまいがちとなる。そんな“やっかいごと”だらけの人生だが、それに対する自分の心の構え方ひとつで、もしかすると随分楽になれるのかもしれないな。口で言うほど簡単なことではないだろうが、オレ様、これからの人生なにごとにもデーーーーーン!と構えていられるよう、オーストラリア大陸のようなでっかい心を養って行きたい……リネットとオードリーの絵を観ていたら、そんなことを感じたものだった。

あっという間の日本滞在7日間ではあったが、たくさんの抱えきれないほどのお土産と重い出を持ち帰った2人は、これまでにない幸せそうな表情を見せて成田空港をあとにした。

ぜひまた、いらっしゃいな。