2008年を迎えてから、オレ様はもうすでに12回程飛行機に乗っている。こうなると、まるで近所のバス停から、ひょいっと乗り合いバスにでも乗る感覚だ。しかしながら、行き先は砂漠への中継地であるアリススプリングスと日本の2ヶ所のみ。そう、今年は日本で開催するアボリジニの女性画家、エミリー展のおかげで、こんなオレ様もあちらこちらから重宝がられて、これまで以上にせっせとアボリジニアートの啓発に努めている、というわけだ。

現にこの3週間の間にも、アリススプリングスとメルボルンをそれぞれ2往復することに。

アリススプリングスの街に到着をするやいなや、オレ様まずは、東京での展覧会開会式に来日をしてもらうアボリジニの女性達の出発準備を手伝わなければならない、という使命を豪州政府から仰せ付かっていた。

今回の来日予定者は3人。すでに候補者は決定していたのだが、何しろそのうちの2人は海外渡航は生まれて初めてで、アリススプリングスの街からもあまり出たことがないという新人ちゃん達だ。したがって、まずは2人のパスポートを申請するところから、この日本行きの準備が始められたのだ。 オレ様は早速、アリススプリングスの郵便局へ行って、パスポート申請用紙をもらってきた。だが、そこに書かれてある申請の為の必要書類があまりにも多くて、オレ様はいきなりどんづまり。

当然のことながら、出生届けやら現住所が書かれてある銀行の明細書、その他年金をもらっていることを証明するペンションカード、それらをすべて今日中に揃えて申請をしなければ、日本出発までに、パスポートは間に合わないというタイムリミット付きの作業である。

日本行きに見事ノミネートされたのは、アナ・プライス姫とジェニー・ペチャラ嬢。そしてバーバラ・ウィア女王の3名だったが、バーバラはもうすでに何度も日本行きを経験しているし、パスポートも持っているから何も問題はなし。問題なのは、はるか昔に、砂漠のブッシュの木陰でポンと生まれた新人ちゃん達の出生証明書が、どこにも記録されていないということだ。

とにかく、オレ様まずは2人と一緒に役所へ足を運び、担当のスタッフにあれこれ相談をしてみた。

そこはさすがアリススプリングスの役所である。街の人口の大半がアボリジニの人々というだけあって、担当者も随分と作業に手馴れたものだった。2人にゆっくりとわかりやすい英語でいくつか質問を始める。まずは生年月日を判断する質問のようだ。

オレ様、隣でよくよく聞いてみると、その担当者は、彼女達の親族ですでに出生証明の届け出がある人達の名前を一人一人あげ、「いい? ジェニー。あなたが幼い頃、○○はどれぐらいの背丈だった?」とか「アナ? △△の子供達はあなたの子供より大きい? それとも小さい?」とか、オレ様には今一つ意味不明な問いかけをしているではないか。

しかしながら、アナもジェニーもそうであれば随分と答えやすいらしく、「自分がこれくらいの背丈だった時、 ○○はあの時計の位置ぐらいだった」と壁にかかっている柱時計を指差す。驚きだ。するとそれからは、自分達のほうから年齢が推定できるような情報をペラペラとその担当者に提供し始めるのだった。スバラシイ!これはもうお見事としか言いようがない。

結局、ああでもないこうでもないという談義の結果、1時間を程なく過ぎた頃、2人の新人ちゃん達は、無事に出生証明書を確保できたのである。ちなみにそこに書かれてある2人の誕生日は1960年1月1日と1957年1月1日であった。

「まさか、ホントかよ~~~!?」と、誰もが言いたくなるのは無理はない。2人とも揃って元旦生まれとは大したもんではないか。この際、細かいことをつべこべ言っている暇はない。ああ。めでたい。めでたい。それでいいのだ。

さて、こうしてパスポート取得に一歩近づいた新人ちゃん達。しかし、あまり感動の様子は見られない。どうやら腹が減って死にそうだと言う。近くのカフェを指差して”何か食わせろ”とオレ様に厳しい視線を投げかけるではないか。

まだまだ2人の書類を揃える為に、行かねばならない箇所が山ほどあるっていうのにだ。ここで優雅にランチなんてしている場合じゃないってことを、新人ちゃん達に言って聞かせたが、まるで通じていない。とにかく腹が減り過ぎて、もう歩けないとまで言い出す。

そうなると彼女達は、ところ構わず道端にしゃがみ込んで、動こうとしなくなるに決まっている。こうなったら仕方がない。急いでサンドイッチでも食べて、直ぐに次へ移動しよう。

2人の大好きなコーラも一緒に注文して、オレ様は日本行きの話をたっぷり言って聞かせたのであった。きっと日本がどこなのか、まるでわかっちゃいないのだろうが、それでも2人は楽しみにしている様子であった。

さて、ランチのあと、今度は銀行とセンターリンクへそれぞれ向かい、事情を説明してパスポート取得に必要な書類を、すぐに発行してもらった。

おっと、忘れちゃいけない。写真も撮らなきゃね。パスポート写真を撮るなんてそれこそ新人ちゃん達には初めての体験だ。あまりの興奮に、きゃっきゃ、きゃっきゃっと大騒ぎして、どうしても前歯を「にぃぃぃーーっ」とむき出した写真ばかりが撮影されてしまう。何度も撮り直しをして、直ぐに我々3人は郵便局へと向かった。

日中のアリススプリングスは、軽く30度を越える。もう汗だくだくである。

やっとの思いで書類を揃え、閉店時間ぎりぎりに走り込んだアリススプリングスの郵便局。するとなんと入り口の看板に「制度が最近変わりました。パスポート申請者は面接が必要でーす。しかも予約制ですからねー」と大きく書かれているではないか。

英語をうまく話さない新人ちゃん達が英語で面接を受けるのは、非常に困難なことは百も承知だ。だからオレ様も一緒に、翌日の2人の面接に立ち会うことにして、その日は家路へと向かった。「あした、面接。いいね。大事大事。パスポートないと日本行けない。オッケー?」と、2人にこれでもかというほど念を押したオレ様だが、それでも心配は尽きないものだ。なかなか寝付けないまま朝を迎えることに。

そして翌朝。 2人を前日に送り届けた場所に、オレ様は再び迎えに行ったが…2人の姿はどこにもなかった。

一緒に住んでいるだろうと思われる親族に居所を聞いてみたが、誰も2人がどこに行ったのか知らないという。アボリジニの社会では「移動」という概念がハンパじゃなく大きくて、1日に軽く700km先に住んでいる親族を訪ねる、なんてことはよくある話。……ということを、オレ様はなぜもっと早く気付かなかったのだろうか!!!

当たり前が当たり前として通用しない社会。じゃあ一体、誰を基準にその「当たり前」が誰に対して成立するのだろうか。異なる感覚、異なる価値観で、ずっとこのオーストラリア大陸を生き続けてきた先住民アボリジニの人達こそが、オレ様にいつも「あれもあり。これもあり」と、物事をそのまま真っ直ぐに受け入れることを教えてくれる。

こうして大事な面接の日に姿を消した新人ちゃん達。残念ながら今回の日本行きは断念することになったが、いつの日か必ず一緒に行けることを、今からしっかりと思い続けよう。