##9月1日

今年に入ってすでに4度目となった日本帰国。今回は7月から開催されていた栃木県立美術館でのアボリジナルアート展覧会終了作業に立ち会うための帰国である。 2日前に成田に到着、ホッとする間もなくすぐに会場での撤去作業の打ち合わせの電話を読売新聞社へ入れる。そして今日午後、メルボルンからギャラリーのオーナーとスタッフが成田へ到着。私は出迎えのために再び成田空港へと車を走らせた。

##9月2日

午前6時半。目覚まし時計のすさまじい音で目が覚める。音が大きいことだけの理由で購入したこの時計は、穏やかな眠りの中かからの私を一気に現実へと引き戻した。「ひえ~、もう朝なの・・・。参ったなあ。昨夜はあんまり寝てないのにぃ・・」と、孤独なオンナはついつい目覚し時計にも話しかけてしまう。・・・が、今日は展覧会の最終日であること、つまり宇都宮まで移動をしなければならないことをすぐに思い出してすぐさまベッドから飛び起きた。「今日はきっと忙しい一日となるだろう」と。

滞在したホテルでギャラリーのスタッフ達と一緒に朝食を取る。たっぷりとエネルギーを補給しなければとビュッフェ形式のレストランでご飯山盛り・味噌汁2杯・シシャモに納豆、・・・と満弁の笑みを浮かべて私がそれらを平らげていると「こんなものをブレックファーストで日本人は食べるのか。キミ達が同じ人間とは思えなくなった。」・・と横目でしかも本当に嫌そうに私のシシャモをにらむスタッフは今回日本が初めて。そうブツブツ言いながら彼は自分のコーンフレークにたくさんのミルクをかけていた。

宇都宮までの移動はレンタカー。もちろん私の運転である。実家茨城の鹿嶋から宇都宮までは3時間から4時間はかかると言われたところを2時間半で到着。私もやれば出来るもんだ。途中、何度か道にも迷ったが日本語の標識がまるで読めないスタッフたちをだましだまし「ユウー、アー、ワンダフル」とまで言わせて無事栃木県立美術館に正午到着。最終日、最後だからと駆け込んで観に来る人が多く、この日も入り口に列が出来るほどの混雑ぶりだった。我々は会場をひと回りぐるっとした。

どの展示場もかなりの賑わいである。美術館担当者からも「この展覧会は想像以上の盛況ぶりでした。今回は僕達も十分楽しませてもらいましたよ。本当にありがとうございます。」と深ぶかと頭を下げられ私も一気に舞い上がる。すると、どこからか「ああーー、内田さんやっぱりいた! 来ると思ってたー!!!」3オクターブほど高い声がしてくるではないか。振り返ると、私もビックリ。なんとメルボルンでギャラリー在職時代にお目にかかった旅行者の女性二人であった。今日ははるばる名古屋から来られたという。わざわざ遠路足を運んで来てくださった熱い思いに心から感謝。

7月から延べ50日間にわたって開催された栃木県立美術館でのアボリジナルアート展覧会、来館者の総数はおよそ10,000人を記録。最終日には閉館時間を延長するまでに。美術館側も、久しぶりの好評な企画展だったととても満足をされていた。

##9月7日

今回の展覧会の後援であるオーストラリア大使館も、この盛況ぶりに大きな喜びを示してくださった。この日は、日本着任されてまだ2ヶ月というオーストラリア駐日大使、John McCarthy氏より昼食のお招きを受け、我々3人は東京三田の大使公邸へうかがうことに。

公邸は想像以上の豪華さで思わずため息。ただの興味本位で拝借したトイレは私の自宅のベットルームより広かった。大使は始終にこやかに、今回の展覧会の成功を誉めてくださり今後に引き続く我々の日本においてのアボリジナルアート展に大きな激励をしてくださった。

第2会場での展覧会を無事に終了し、多くの方々が観て下さったという喜びは確かに大きなものではあるが、私には観に来られた方に、どの位満足していただけたのかが大切だということ、日本人にとってこの斬新で、かつ非常にユニークなオーストラリア先住民の芸術がいったいどのように受け止められたのかを今後も注目していきたいという想いを懸命に大使にお伝えして、公邸をあとにした。

こうして今回も私の日本滞在過密スケジュールが無事終了し、再びメルボルンへと帰る日を待つわけだがこうも頻繁に日本とメルボルンを行ったり来たりしていると何だかいったいどっちが自分の生活なのかわからなくなってくるのも事実である。まあ、それも『今の自分』としてしっかり受け止めるつもりではあるが。

アボリジナルアート、日本進出。まずは好調なスタートであったことをここにご報告しよう。