今回は、今活躍中のアボリジニ女性画家、そして私の大事な友人であるひとりをご紹介しましょう。

彼女の名前はバーバラ・ウィラー。初めて知り合ってからもうかれこれ5年の月日が流れる。1996年にNHKテレビの取材で、ある画家を4日間砂漠のど真ん中で撮影をしたのだが、そのとき我々の通訳となり世話役となり大活躍をしてくれたのが、彼女だったのである。そのとき「初めて逢ったにもかかわらず、・・・・・・あれ?以前から知り合いだったっけ?」と、そんな印象を強く受けた記憶あり。

そんな彼女が去る2月11日にTBSテレビで人気番組である「ウルルン滞在記」に堂々主役で出演。番組終了後の反響はかなりのもので想像以上であった。私のところにも彼女に関する情報が欲しいというメールが殺到した。映像の力はやはり大きい。

そこで先日彼女とメルボルンのレストランで友人を交えながら一緒に食事をして、撮影の裏話をちょいと聞いたらそれがオモシロイの何のって。何しろ撮影時期が砂漠の一番暑い時期、1月だったのがまず信じられない。これまで私も何度もアボリジニ村には滞在したが、あの暑さったらハンパじゃあない。日中軽く45 度にはなる。何をしてても、暑い。どこにいても暑い。冷たい飲み物・・・・手に入らず。

番組に起用された女優さんも途中でダウン。もちろん暑さでやられたらしい。食事は毎日トカゲ・カンガルー・トカゲ・イモムシの繰り返しだったという。普通カメラの廻ってないところでは撮影クルーが用意した食事をとる・・・・とお思いでしょう?・・・・・・が、この「ウルルン滞在記」の番組ディレクターは"それじゃあリアル感が出ないっしょ!ダメダメ。シャワーもダメダメ。あくまでも現実に近くね。耐えてね。頑張ってね。"と全く鬼のようだったとバーバラは言う。撮影は早朝4時ごろからスタート。そして深夜1時に終了。番組協力とはいえ、普段スケジュールなんかで動いているはずのないアボリジニのバーバラにとってはもうフラフラで倒れる寸前。しまいにはディレクターとケンカをしたらしい。だから撮影のギャラをいっぱいもらってやったと彼女は誇らしげに笑っていた。さすがである。

そんな彼女を私は近い将来、日本に連れて行きたいと切願する。いつも彼女の「カントリー」に魅せられっぱなしの自分である。だから今度は私が自分の「カントリー」を彼女に知ってもらう番だ。

以下、彼女の経歴をご紹介。作品をご覧になりたい方はぜひご一報ください。


BARBARA WEIR(バーバラ ウィラー)

言語集団: アマチャラ(ANMATYERRE)
出身: ユトーピア
1945年ごろアリススプリングズの北東、ユトーピアに生まれた女性

アボリジニの母とアイルランド人の父を持つ彼女は両文化の特徴が上手く調和されたユニークな性格の持ち主。

1950 年代にオーストラリア政府が行った政策により、9歳のときに無理やり両親のもとから引き離され、アリススプリングズ・ダーウィン・ブリズベンなど次々と違う白人家庭のもとへと引き取られていくうちに、自分の言語もだんだんと忘れていき、いつのまにか白人社会へと染まっていった。

だが、心の片隅にはいつも“自分の故郷ユトーピアヘ帰りたい"という気持ちが強くあったため、1970年代はじめに自分の意志で再び戻って行った。しかし、アマチャラ語をほとんど覚えていなかった彼女は、故郷へ帰っても誰ともコミュニケーションが取れずにいたのだが、その彼女の幼い頃を鮮明に覚えていたのが現在オーストラリアで最も偉大なアーティストであるエマリーであったのだった。

それからというもの、彼女は再びアマチャラ語を学び直し、ユトーピアにもたびたび訪れるようになったのである。エマリーとの日常の強い接触、また彼女の画家としての才能に大きな影響を受け自分自身も画家として活動し始めたのが1990年ごろであった。

現在、アボリジニ社会と白人社会との狭間に立った彼女の描く独創的なスタイルには大きな注目が集められ、オーストラリア国内はもとより海外でもその評価も高い。そして現在彼女の作品が日本の美術館でで展示されていることを私は大きな誇りに思っている。