ものごころがついてから人前で号泣したのなんて一体いつ以来のことだろう。おまけに鼻水までたらしてだ。人のあったかさがこれほど心に染み入るだなんて…。私も歳を取ったもんだなぁ。

東京表参道でのアボリジナルアート展覧会に向けて、私は豪州中央砂漠のアボリジニ居住区より2人の女性画家を日本へ招いた。距離でいうとざっと7500キロ。彼女たちだけでの海外渡航は困難なので今回はもうひとり白人のアートコーディネーター、グラニスおばちゃんへ日本までの同行を依頼したところ彼女は快く承諾をしてくれた。…というか、彼女が一番“ジャパン、ジャパン、どんなところかさっぱりわからんがとにかくジャパン、ジャパン”とはしゃいでいた。

そんな彼女はもうアボリジニの居住区で14年も暮らしているベテラン選手。それゆえかなりアボリジニに近い感性の持ち主である。さあそれはいったいどういうことかと申しますと…例えば家の中ではひと目もはばからずスッポンポンに近い状態で歩き回るとか、「時間」というものを全く意識しないで日々狂ったように買い物しまくるとかトイレもたまに流すのを忘れて出てきてしまうとか。他人様のウンコを流すのも慣れればなんてことはないもんだ。

そんな3人とともに暮らした12日間「愛と涙の東京物語」をゆっくりご紹介していきたいと思う。

普段居住区から400キロ離れた街にさえあまり出掛けないアボリジニにとって海の向こうなんてところは全くの未知の世界。今回の日本への旅はそれこそ人生最大のイベントであった。そこはいったいどんなところで何が待ち受けているのか彼女たちにはさっぱり想像がつかなかったことであろう。

とにかく“日本に行けばジャッキーチェーンに会える”という熱い想いだけを胸にトプシーとリネットはグラニスとともに日本へやってきたのだから。

10月21日

カンタス航空21便成田到着予定06時40分。どれぐらいの荷物を砂漠から持ってくるのか見当もつかなかった私は父の大型車とともに成田空港へ出迎えに行った。「オーストラリアのブッシュから日本への珍しいゲスト」という話題性たっぷりの彼女たちの到着に、空港には日本テレビのカメラもスタンバイして私はいまかいまかと出口から次々に出てくる乗客の顔をひとりひとり覗き込んだ。

彼女たちが無事に出てきたら私は駆け寄って行って熱い抱擁で出迎えよう。英語ダメダメの父にも「いい?ちゃんと“うえるかむ、とぅー、じゃぱん”って言うんだからね、恥ずかしがらないでちゃんと言ってよね。と何度も念を押し、少しテレビカメラを意識した私は誰にもわからないようにさささっと口紅を塗り直してみたりもした。

……が……待つことざっと1時間。

「そろそろ出てきてもいいですよね~」と日本テレビカメラマン。「そうですねえ。何かあったんでしょうかね」と引きつり笑いで返答する私。「まさかさぁ、乗ってないってことはないよね。」と友人でフリーの番組コーディネーターのタカさん。彼は今回ずっと私たちと同行で取材をするぞと張り切ってこの日も早朝からスタンバイしてくれていた。

それなのにもう次の次のその次の到着便の乗客もすでに出てきているではないか。私の脳裏にはあれもこれもといやぁ~~なことがたくさん浮かんでくる。こんなときにまったくポジティブな発想が出来ない自分の性格を恨んだ。

「わたし、今から砂漠に電話してみます。ちゃんとゆうべみんな飛行機に乗ったかどうか確認します。」…と鼻の穴を大きく見事に広げて、自分の手のひらサイズの携帯電話から7500キロ海の向こうの居住区へ電話を入れた。いや、実はもうすでに前日ちゃんと飛行機に乗ったかどうかの電話確認は済んでいるのだが(心配で3回もかけた)それでもこの不安はまったくといっていいほど消える気配がなかった。

砂漠の居住区にはグラニスのご主人ティムがお留守番。電話が通じると少し寝ぼけた声で「ちゃんと飛行機には乗ってるから心配する必要はない。」と口をもごもごさせて面倒くさそうに答えるティム。「おんどりゃ~~!ティム!こんな時間に寝てんじゃねーよ。大事なことなんだよ。ほんとに昨日飛行機乗ってんだろーなー!!」と英語でオンナ番長風に言ってみるのは初めてだったが結構キマッタ。それほど私はカリカリしていた。

そんなやりとりをしていると「ナカマラー! ナカマラー! ナッカマッラ・ナッカマッラ!!」と突然甲高い声が聞こえてくるではないか。この日本で私のアボリジニスキンネームを呼ぶのは間違いなく…「きゃああああああ~~~。グラニス~~。トプシー~~。リネットぉぉぉぉぉぉぉ~~~」彼女たちの姿を見つけた私はまるで数年ぶりに最愛のダーリンに再会をしたかのような言葉には出来ない感激と興奮に身をつつまれた。私のあまりの絶叫に、空港にいたすべての人間が“いったい何事が起こったのか”と一斉にこちらを見ていたようだった。

何やら、一時間半も別室に連れて行かれてあれこれと取り調べを受けていたと真っ青な顔でグラニスは言う。しかし、あれほど日本での滞在中のイベント内容、滞在ホテル、その他もろもろ細かいこと全部を明記して事前に送っておいたファックスを絶対に忘れないで持ってくるようにと念を押してそう言っておいたのにグラニスはそんなことはさらさら覚えちゃいない。それゆえ税関係員の質問に何一つ答えられず、おまけに身体の大きな色黒い女性を2人も連れていたものだからそのまま別室へさぁどうぞと案内をされたらしい。

「おーまいがー。おーまいがー。(注:OH MY  GOD!)」とグラニスは恐怖におののきながら手荷物すべてを開けられて、はるばる砂漠の居住区から持ってきたコーンフレークや紅茶・アスパラガスの缶詰を係員に見せたという。 彼女こそ、日本がどんなところだか全く理解をしていない貴重なオーストラリア人女性である。彼女を今すぐ日本のスーパーマーケットに連れて行かなくちゃ!と心からそう思った。だって私が砂漠に非常食としておせんべいを持っていくのとは訳が違うでしょ。

そんなハチャメチャな初日スタートを切った我々の日本滞在珍道中であったが、そこには笑いあり、涙あり、鼻水ありのドラマが見事に展開されていった。 当初心配していた彼女たちのホークシックなんてまるでうそのように吹っ飛び毎日朝から食欲モリモリ。生まれて初めての温泉体験、ドキドキハラハラのテレビ出演、大絶叫の観覧車。お気に入りのワンタッチ傘は家の中でも始終パチパチ。そして何よりもたくさんの素敵な仲間と出逢えたことに心から感謝。

“わたしひとりじゃ何も出来ないことが自分ひとりじゃないことで何でも出来た”と確信した「愛と涙の東京物語」を今後しばらくご紹介させていただこうと思っている。