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砂漠での朝は実に様々な音で目が覚める。といってもそれらはテレビや車やパチンコ屋などの人工的な音ではなく、1年にたった一度だけ行われるこの儀礼のために豪州全土から一斉に集まってきたアボリジニのおばちゃんたちのうねるような歌声であったり、耳元でパチパチと燃えたぎる焚き木の炎の音であったり、ときにはただただ大地を吹き荒らす風の音であったり。

電気も電話も水道もトイレも何にもない砂漠のブッシュでアボリジニ達と1週間も一緒に暮らしていると、自分の身体全体が大地からの音やにおいにとても敏感に反応するのを感じる。そう、その瞬間はこのシティガアァーールのオレ様でさえほんの少しだけでも大地と共存できたようなそんな喜びを覚えたりするものだ。

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2005 年5月22日。私はアボリジニの儀礼へと招かれた。メルボルンからその目的地まではざっと2900kmの道のりである。一瞬気絶しそうな距離だと思われるかもしれないが、今のご時世飛行機を利用すればあっという間にほほほ~~いと現場までたどり着いてしまえるものだ。取り合えず私は今回同行するアボリジニのおばちゃんたちの住む居住区までまずは赴き、そこで彼女たちと合流してから大型四駆2台で儀式の行われる目的地へと向かった。その距離500km。ドライバーは私ともう一人のコーディネーターの2人だ。何てことはない。朝飯前である。

地図にはまるで載っていないような道なき道をひたすらまっすぐ走っていく。本当にこの道で正しいのか…と運転中に何度も不安になり、後部座席に座っているアボリジニのおばちゃんたちの顔をバックミラーでチラチラ見ながら「ほんとにこっち?」と目で合図を送ってみるのだが、誰もそんなことを気に留めちゃいない。みんなお菓子やジュース・バナナを座席いっぱいに広げて気分は完全にピクニック。そりゃそうだ。何たってこの儀礼への参加はアボリジニの女性が1年にたった一度、堂々と旦那を置いて自宅を留守にできる唯一のひとときなのだからはしゃぎ回りたいのは当然だ。中には自分の留守中に旦那が寂しがってジェラシーを抱くようにとわざとそんなアボリジニの歌を口ずさむおばちゃんもいた。へぇー、かわいーとこあるもんだねー。

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旦那のいないオレ様は留守中寂しがってくれるのは2匹のネコ以外誰もいないもんだから、歌える歌が一つも思いつかず、その現実に打ちのめされていたら途端に腹が減ったのでコンビーフの缶詰を運転しながら丸かじりした。我ながらかっこいいと思う。

さて、段々目的地へ近づいていくと「Women’s meeting」と書かれた看板がちらほらと目に入ってくる。それらがおよそ1kmごとに立ててあり、我々はそのサインをフォローしながら車を走らせる。そこはまさにブッシュのど真ん中。右を見ても左を見てもうっそうと生える木々ばかり。看板には「これより先は聖地により立ち入り禁止。守らぬ者へは罰金$20,000」とあり、それまで騒いでいた車中の全員が「いよいよ…だな」と背筋をピンと伸ばしたものだ。

東京ドームをひと回りほど小さくした広さの会場で、まるで地区運動会のようにそれぞれのコミュニティがあっちこっちへとキャンプを張る。我々も早速自分たちのキャンプの準備に取り掛かった。信じられない話のようだが、今回の参加者でオレ様は見事に最年少。身軽にひょいひょいとトレイラーによじ登り誰よりも機敏に働いてみせた。調子に乗ってジャンプのまねごとなんかもしておばちゃんたちをゲラゲラ笑わせた。

すると丁度そのときである! オレ様がトレイラー本体と開けたドアの間に身体を寄りかからせているとき、アボリジニのおばちゃんが突然そのドアをバタンと閉めた。

「うんぎゃー!」私の乳首が挟まれた。

死ぬかと思った。砂漠ではブラジャーは一切しない。痛さは格別だった。まさか先っちょがチョン切れてしまったりはしてないだろうな…。そんなことを心配してTシャツの首からそうっと真下を覗いてみたが、かろうじてまだあったので安心した。少し腫れあがったせいか大きさがいつもの倍になっていたが、まあそれも悪くはなかろう。

儀式は8日間に渡って繰り広げられるが、その期間中私は2人のおばあちゃんの世話係に任命された。そのうちの一人、ルビーばあちゃんは昔からパーキンソン病を患っており、なかなか一人では自由にトイレへも行けない。したがって彼女のトイレへはいつも私が同行した。何度もしつこいようだが、ここはブッシュのど真ん中。トイレなんてものはどこにも見当たらず、かろうじて政府がこの儀式のために設置した簡易トイレがいくつか点在しているだけだった。だがそれらは鼻がそれこそひん曲がってしまうようなニオイとブンブンバエがこれでもかというほど攻撃してくるので、とても便座にお尻をつけられる状態ではない。それゆえ必然的にルビーばあちゃんにはできるだけキャンプ地から近い草むらでいつも用足しをしてもらうことになった。

私は女性の立ちションを初めて見た。しかし彼女がそれで心地良いのであればそれでよかろう。人間、自然体が一番だ。ルビーばあちゃんは英語をあまり話さないので会話もなかなか簡単ではなかったが、我々の心はガッチリつながっていたと確信できる。また私の名前がどうしてもうまく発音できなかったようなので彼女から「もしもし」というニックネームを名付けられた。

ご想像いただきたい。早朝、空がまだまっかっかな色の時間、そう私が丁度鼻ちょうちんを膨らませて熟睡している真最中「もしもしー。もしもしー。トイレット。トイレット」と呼び起こされる恐怖を。そのたびに私は特大の懐中電灯を片手にルビーばあちゃんの手を引いて暗闇の草むらへ立ちションをさせに行くのである。来る日も来る日もまたあくる日も果てしなく「もしもし」コールは続いたのだった。

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豪州政府はトイレ設置だけではなく食料や水も定期的に配布してくれる。大きな布袋2つが毎朝トラックで配られ、それらはまるでサンタクロースが持ってきたプレゼントの袋を子供たちが取り合って嬉しそうにその中味を見るのと同じように、私たちも毎日その袋の到着を心待ちにした。今日の中味は一体何だろう? そんな袋の中味は毎日バラエティに富んでいて我々を驚かせた…ら、どんなによかったことか。食料は決まって小麦粉・缶詰・じゃがいも・にんじん・パンなどがごろごろと無造作に入れられており、貯蔵する冷蔵庫がないので生鮮食品はほとんど見あたらなかった。たまにカチカチに凍った赤い冷凍肉が配布されるが、それも直射日光で自然解凍するとうっすら緑色に変色。しかしこの際止むを得ない。貴重な食料としていただく。ありがたや。ありがたや…。

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水はタンクに入ったものを一日5つ配布されるだけだった。それらは我々13人分の食事や飲料に充てるだけでギリギリの量だ。身体を洗うとか歯を磨くとかそんな発想は誰も持っておらず。従って私も滞在8日間で歯磨きをしたのはたったの3回。しかも木陰に隠れて申し訳なさそうにね。自分がしゃべるとその息が臭い。でもみんな臭いからそんなことはもうどうでもよかった。

日に日に爪の中が真っ黒に変色し始め指紋にも汚れがついて一向に取れない。ああ、今日は一体何月何日だろう。鏡も《恐ろしくて》見てないし身体もベタベタで昨日のボディペイントがまだ残ってる。それなのに全く嫌でないのは何故だろうか。

それはきっとこれまで自分に付着した生活や習慣・価値観・ステータス・しがらみといったものから一気に脱却した解放感のようなものだと考えるがいかがだろうか。