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私は昔から物事は”直感”で決めるほうだと自分で確信している。そう、だから「偶然」の出会いをとても大切にしているし、たまたまの巡り合わせには極力逆らわないようにしている。豪州先住民が描くアボリジニアートとの”出会い”がまさにそうであったように。

まったくひょんなことから私の人生に登場してきたアボリジニの芸術に、いやはやまさかこんなにも魅せられ続けることになろうとはね。誰よりも自分自身が一番驚いているのだから、不思議といえば不思議である。

砂漠の辺境地帯で暮らすアボリジニたちは、確立した価値観のない世界で生きる人々。そんな彼らと長く一緒にいると、現代社会の決められたレールの上に乗ることだけが生き方じゃないな。人生、いろんな生き方があったっていいじゃないか。誰のものでもない、自分の人生なんだから…そんなことをアボリジニの人々は私に教えてくれたのである。いつの間にか私は彼らの深遠な哲学や独特な文化を自分なりにもっともっと学んでみたいと真剣に考えるようになった。そして彼らへの最初のアプローチからあっという間にもうすぐ10年以上の年月が経とうとしている。

「ねえ、真弓さん。日本のテレビに出てみない?今、大阪の番組制作会社から連絡があってね。海外で何かユニークな活動をしている日本人を探しているらしいんだけど、キミのことをディレクターにちょっと話したら結構興味持ってさあ。真弓さんさえよければこの話、進めていきたいんだけどどうかな」。そんな話を持ちかけてきたのは知人のメディアコーディネーター。私がアボリジニにどっぷり漬かっている生活をよく理解している仲間の1人である。何だか面白そうなので、もう少し彼から詳しく内容を聞いてみることにした。

ご存知のとおり日本でのメディアの力は宣伝効果大である。実はこれまでにも幾度か日本のテレビに登場する機会をいただいた経験があるのだが、そのたびにアボリジニアートへの反響は確かに大きかった。だが結局はそのほとんどが一過性のものに過ぎなかったのも事実である。

私は今、自分が”好きで続けていること”を果たしてどこまで誠実で確実に日本のお茶の間の皆様に伝えられるのか…。そのあたりを撮影に応じる前に担当のディレクターとまずはとことんブリーフィングさせてもらいたいと強く希望した。

以前の自分だったら「うっわー。テレビー?やーだぁー、ハッズカシイけど嬉しいわー。早速実家のトウちゃんカアちゃんに知らせてびっくりさせなくちゃ。中学校の担任の先生や近所の同級生にもじゃんじゃか宣伝してさあ。それにうまくいけばオーストラリアで一人逞しく生きるこの私と、どうしても!!! 結婚したいっていうトノガタなんかも現れちゃったりしてぇ~。テレビの威力ってやっぱ偉大だわーー」なんてかなり調子に乗って舞い上がっていたに違いない。しかし、今の私は違うのだ。自分の結婚相手を見つけることよりもアボリジニの芸術をきちんと日本の視聴者に理解してもらうことをまずは最優先に考える。それが無理であるのならば、敢えてテレビには出る必要はなし。つまりこのままずっと孤独に耐えながらも一人でしっかり生きていく覚悟までできているのであるからタイシタモンダ。…と、顔をひきつらせながらかなり強がりを言ってみたりもする。

アボリジニアートの魅力を一概に説明することは大変難しい。ましてやそれを1週間ばかりの撮影期間で一体どのようにどこまで表現できるのだろうか。おまけに対象相手となるアボリジニは時間や約束の概念が我々とは大きくかけ離れている人達だ。午前10時といわれてもそれが実際には午後の5時だったりするのが、彼らの社会では日常のことである。そんな彼らに過密なテレビ撮影スケジュールを見せたって――― 「??????」ってことになるのは目に見えているではないか。それにテレビカメラがあっちこっちと日々彼らを追いかけ回して、万が一立腹でもさせて私の太ももが槍でブスリと刺されたりしたらたまったもんじゃない。まじで怖い。それこそもう嫁入りどころではなくなるではないか。

そんなアボリジニ社会の現状を大阪からわざわざ電話を掛けてくれたディレクターに私はまっすぐ正直に伝えてみた。気が付くと延々と2時間も1人で熱くしゃべっていた。

「内田さん。おもしろい! ぜひとも僕たちを砂漠に連れて行ってください。内田さんがそこまで魅せられたアボリジニアートの世界を少しでも広めるお手伝いをさせてください」と電話の向こうのディレクターはすでにやる気満々。

「はい。それじゃあよろしくお願いします。」

そんなこんなで私はこのテレビ出演の依頼を引き受けることになったのであった。自分の”直感”をまたもや信じて。

しかしだね。。なんだかんだ言ったってテレビに出るとなったら、こりゃやはり気合が入るってもんですよ。私もごくごくフツーのオンナでござんす。まずは美容院へ行ってヘアカット。「日本のテレビに出るんです。できるだけ若く見えるヘアスタイルにしてください」と担当のヘアドレッサーに無理難題を押し付ける。何しろ今回は出演者、しかも主役なのだ。きっと顔のドアップだってあるに違いない。目じりの小じわはどうしよう。そうだ。先日友人がシンガポールの免税店で購入をしてくれたあの怪しい”シワ取りクリーム”があったぞ。よし、あれをベタベタ塗ってみよう。何やら自宅にもカメラが入るらしい。あんりゃ、それは大変だ。今のうちに隠すものはさっさと隠さねば。

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撮影期間は全部で6日間。メルボルンで2日間ほど費やし、あとの4日間は砂漠のアボリジニ村での滞在となる。

大阪からはるばる来てくださった5人の撮影クルーの皆様は本当に超一流プロ級の仕事振りで連日の睡眠時間もままならない中、実によく働いていらっしゃった。

当然出演者であった私も極度の睡眠不足で目の下真っ黒のクマだらけ。疲労でまぶたもぶら下がり日に日に大変ひどい顔となっていった。

「内田さん。今日もかなりお疲れのようですね。大丈夫ですか」。
これが撮影クルーたちの毎日の合言葉となった。

メイクさんはどこ? スタイリストはいないの?私は主役、主役なのよ。今すぐ冷えたシャンペンを持ってらっしゃい。あ~あ。もう疲れちゃった。クーラーの効いた控え室で少し休ませてもらえないかしら。何て言ってみようものならただの頭のおかしいオンナだと思われる。何たってここは砂漠のど真ん中。ホテルもレストランもそんなものはどこにも見当たらないアボリジニ居住区なのである。

化粧はほとんどすることなく(それでも眉毛だけはしっかり描いた)、ボロボロのシャツを羽織って髪は後ろにひっ詰めながら気温38度の炎天下の中、木陰にゴロンと寝転がるのが唯一の休憩時間。ペットボトルからぬるい水をごくごく飲むのが至福のひととき。

アボリジニ達に同行した狩りのシーンでは、焼いたイモムシを大口開けて食べるところもしっかりカメラに捉えられた。

ああ、こんな姿が日本のお茶の間に映ってしまうのか。虫を食う奇妙な娘を持ったと我が家の両親はきっと親戚中から笑い者にされるに違いない。かわいそうな父上、母上様。

次号はこのたびの撮影時の様々なハプニングをいくつかご紹介してみようと思っている。

何といっても砂漠が16ヶ月ぶりの豪雨に見舞われ未舗装道路はまるで川。そこを時速たったの20kmでじゃぶじゃぶ濁流に漬かりながら延々ドライブしたんだから。通常4時間で到着する居住区へ何と8時間以上も運転(しかも真夜中、あたりは真っ暗)することになったあの恐怖は並ならない。レンタカーの鍵も一時紛失。しつこいようだがそこは広大な砂漠のど真ん中であるということをお伝えしておこう。どこを探したって見当たるわけが…ない (大粒涙)。

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テレビ放映は「世界のどこかで」というタイトルのもと11月27日(日)から毎週日曜日、21:54~22:00までを5週間に渡って放送されるとのこと。残念ながら関西地方だけの放映に限られるらしいが、機会があれば皆様にもぜひご覧いただきたい。