不覚にも先月号を休んでしまった。伝言ネット“鬼の編集長様”のおっかない顔を頭にチラチラ浮かべながら締め切りギリギリまで何とかふんばって「絶対に書き上げるぞ!」と意気込みだけは十分だったはずなのだが、どうも肉体的疲労と物理的時間の配分がものの見事に調和せず、結局は「ごめんなさい、堪忍してください」と謝罪をしてしまうことに。

…ということでまずは皆様にもこの紙面をお借りしてお詫びを申し上げたい。

「ちょっと…つわりがひどかったもんで。休んじゃってほんと、すんません」。以前このガセネタで日本からのある原稿依頼を断った記憶があるのだが、そのときの担当者に「内田さん。その吐き気ってどうせただの二日酔いか想像妊娠なんでしょ」と間髪入れずに突っ込まれたことがあった。何とも失礼な野郎である。

いやー。それにしても2006年があと1ヶ月で終わろうとしている中、今年の『日豪交流年』という特別なイベント年に際して、このオレ様も実にあっちへこっちへと飛び回らせていただく機会に恵まれた。

日本でのアボリジニアート展覧会がここぞとばかりに全国で開催が実現し、確実に豪州先住民アボリジニの深遠なる芸術の啓発に努められたという自負すら覚える。

その日豪交流年のイベントの一つとして大阪読売テレビ主催の“夏休み家族向け企画”にアボリジニアート展が盛り込まれることになり、コーディネーターのオレ様はオーストラリア中央砂漠の辺境地帯に住むアボリジニの画家を二人はるばる来日させるという大役を仰せつかったのであった。

8月のとんでもなく暑い1週間、『愛と涙の大阪物語』がスタートした。

日本とオーストラリアの位置関係すらまったく想像がつかないどころか「ニッポン」というのが一体なんなのか、またそこではどんな食べ物が口にできるのかなどという情報を一つも持たないまま二人の女性画家・モリーンとノーマは日本へやってきた。

二人は関西空港へ到着するなり自分たちの周りがアジア人だらけであることにしばし驚きを隠せない様子ではあったが、それでも私の袖をグイっと引っ張って「あそこにいるのはジャッキー・チェンの弟か?」と見知らぬ男性を指差したり「ジャッキー・チェンは今、どこで何をしている? 私たちはいつ会えるんだ?」ときゃっきゃ、きゃっきゃ興奮してみたりと、いきなり異国へ来たという不安気なそぶりはあまり見せなかったのでこちらも安心した。

それにしても読売テレビさん。オレ様、つい言っちゃったんだよね。『日本に来てくれればジャッキー・チェンに会えるんだ』ってさ。何たってアボリジニ社会ではジャッキー・チェン様は超スーパースター以外のナニモノでもないのだから。

事前に頼んでおいた『ジャッキー・チェンのそっくりさん募集』は、ちゃんとやっておいてくれただろうか。

ちょっと背格好が似ているそこらのあんちゃんに「アチョー! ! ! 」とか言って足でも上げてもらえれば、それで十分なんだけどなあ。

さて、初日の晩はさすがに長旅の疲れがあったせいか、砂漠からの女王様たちはホテルの部屋に入るなり、すぐにバタンキュー。

小腹が空いたときのためにとあらかじめ用意しておいたサンドイッチを少しだけつまんだ彼女たちはすぐにゴジラのような大イビキをかいて爆睡した。もちろん風呂には入らない。

8月2日(水)

我々が滞在した大阪天保山のホテルはまさにオーシャンビュー。部屋の窓を開けると目の前にはどこまでも続く海・海・海。そして大阪港に寄港するたくさんの船・船・船。これにはさすがに砂漠の女王様たちは絶叫した。

何しろいつもは豪州のアウトバックで暮らしている二人である。普段目にするのは乾燥した真っ赤な大地にうっそうと生える木々だけだ。

「カピ~! カピ~! 」とそれはそれはうれしそうに大声上げて、朝起きてからずうーーっと窓の外を眺める二人であった(注:カピとはアボリジニのルリチャ語で“水”という意味)。

アボリジニの人々は朝目覚めるとすぐに、必ず大きなカップでぬるくて甘いミルクティーをがぶがぶと飲む習慣があるのだが、このホテルにはそんなマグカップなどは用意されていない。日本茶用の小さな湯飲み茶碗が部屋の冷蔵庫の上にあるだけだった。

敏腕インチキコーディネーターのオレ様、ちゃんと紅茶と牛乳は買っておいたのだが、ついうっかりしてしまい肝心の大きなカップを用意するのを忘れてしまった。

「ごめん。ごめん。それじゃあ朝食も兼ねて1階のレストランへみんなで行こうよ。紅茶はそこで飲めるはずだから」。そう言って彼女たちを着替えさせて(歯磨きなし)朝食のビュッフェ初体験に挑戦した。

ホテルの朝食会場には、たくさんの夏休み親子連れ客がみな楽しそうに食事をしている。そこへ砂漠の女王様たちの登場となると、途端にあちらこちらから熱い視線が注がれてモリーンもノーマも最初はやや尻込みをしていた。

が、何しろ腹はグーグー減ってるし、紅茶はがぶがぶ飲みたいし、おいしそうなソーセージやパンがたくさん目の前のテーブルにのっていりゃ、もうそんな注目なんて気にすることなく、即座に名ハンター狩人サマに変身さ。

まるで砂漠のど真ん中で獲物を獲るかのようにあれもこれも、これでもかというほどお皿に食べ物を盛り付ける二人だった。それも手づかみで。

これにはさすがにたまげた様子で、係りのお姉ちゃんが吹っ飛んできて彼女たちに注意した…が、二人とも『へっ? 何で駄目なの?』ってな顔をしていたのが、何とも印象的であった。

午後にはテレビ取材も兼ねて念願の「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」がスケジュールとして組まれていた。どこへ行くにも後ろからテレビカメラに付いてこられ、それだけでも通行人たちの注目を浴びる二人は、まるで芸能人並みの扱いだ。

中にはサインを求めて駆け寄ってくるオンナの子もいたが、文字を持たないアボリジニの二人は「私たち、字が書けないの」と笑ってそう言いながら、ぎゅうっとそのオンナの子に握手をした。

そんなムービースターのような彼女たちが、実はつい数日前まで砂漠のアボリジニ居住区でダニだらけの犬たちに囲まれ、カンガルーの丸焼き尻尾をかじっていただなんて一体誰が想像したことか。

特にモリーンは、日本出発前に親族の一人が他界したため髪を短く切り(アボリジニ社会では自分の家族・親族が亡くなると髪を短く切るという習慣《…というよりも掟に近いもの》がある)、それが恥ずかしいからと、暑い8月の大阪へ毛糸の帽子をかぶってやってきた。

彼女はロングヘアにいつも憧れていたから、なおさらだったのであろう。

誰が見ても男らしくたくましい中性のオレ様は、ロングとまではいかずとも一応セミロングぐらいの髪の長さなのであるが、モリーン曰く、オレ様と同じシャンプーを使えば瞬く間に自分の髪も同じように伸びてくると信じて疑わず、薬局の前を通るたびに「シャンプー、シャンプー」とオレ様におねだりしてきた。

「これがいいよ」と1本レジに持って行こうとすると「髪を切った家族全員に」とモリーンは8本のシャンプーをオレ様に買わせたツワモノだ。このやろ。調子に乗るなよ!

人間、誰しも自分を取り巻く『環境』によって価値観が変わるものだとこのオレ様は確信するのだが、この1週間の大阪滞在でモリーンとノーマは「日本」をいったいどのように捉え、感じたのだろうか。そんな彼女たちの声を次回お知らせしたいと思っている。

オレ様の2006年、今年もまたすっかり“アボリジニ漬け”の1年になったが、それも今の自分としてしっかり受け止めて行くつもりだ。

そして今年お世話になったたくさんの皆様ひとり一人に心から御礼を申し上げたい。

どうぞよいお年をお迎えください。