4月から始まったアボリジナルアート日本巡回展もいよいよいわき市立美術館での開催で最後となる。美術館からゲストとしてアボリジニの画家をオープニングセレモニーに招きたいとの要請が・・・簡単にリクエストをしてくれるのはよいが、始終そのアボリジニのアテンドをする私の心配はまったくしてくれていない。航空券の手配から出発前の医療・パスポートチェック、日本滞在中のケアなどやることは山ほどある。肝心のパスポートは何やら以前取得したものがあるとのことでひとまず安心。生年月日を見せてもらった。00月00日00年との記載に私は自分の目を一瞬疑ったが、オーストラリアのブッシュで生まれた彼女に誕生日の記録はない。ああ・・・なるほどそうかと、大きく納得。

今回日本初訪問のアボリジニ画家は以前この紙面でも紹介したオーストラリア中央砂漠出身のバーバラ・ウィア。普段から彼女と厚い交友関係を持つ私は美術館からの招待の要請を受けたときに真っ先に彼女に声を掛けた。何たって、彼女はすでに日本のお茶の間に幾度となく登場している人気者。まだ記憶に新しいのが 2月に放映された「世界ウルルン滞在記」バーバラは主演だった。これは視聴率がとても高く、事実私のところにもたくさんの問い合わせがきた。それに何よりも英語を流暢に話す彼女とはコミュニケーションが取りやすい・・・と、自分がかなり安易に考えていたことをあとで大いに反省することに。

2 つ返事で快くオッケーを出してくれた彼女とは出発日にメルボルンの空港で合流。日本行きは初めての彼女、かなり不安そうな様子。彼女の家族全員が見送りにきていた。ちなみに家族とは子供6人・孫15人・そしてひ孫が1人のビッグファミリー。家族の絆が強いアボリジニらしい光景であった。その家族ひとりひとりに「お母さんをよろしく頼むぞ。」「おばあちゃんをしっかりお世話してね。」と代わるがわる挨拶をされたが、その挨拶の裏にはまるで《もしもオッカアに何かあったらオメェ、ただじゃおかねーぞ》・・・とそんな脅しを受けている気にもなり、私の緊張は一気に高まった。シドニーに着くや、彼女は無事シドニー到着を家族全員に知らせるので携帯電話を貸してくれと私に言う。え?だってついさっきメルボルンでみんなと熱い抱擁交わしてバイバイしてきたばかりじゃないの・・・などと言って彼女の機嫌を損ねたら大変・・・という事で私は彼女に電話を貸した。うーん、これから一体どんなことになるのであろうか。

成田空港には父親が早朝から迎えに来てくれており、ひとまず私の実家に彼女を連れて行くことに。到着するやいなや、再びオーストラリアの家族全員に無事日本到着の知らせの電話をしたいとのこと。おまけに砂漠に住むおばさんの具合が悪く、心配でたまらないからそこにも電話をしたいという。え?ここから砂漠に電話すんの?あんな手のひらサイズの小さい携帯電話から海を越えたはるか彼方のおばさんと電話が出来るこの現代のテクノロジーを私は呪った。

到着した晩、私の家族とみんなで夕食。普通の日本人家庭で普通の日本人のご飯を彼女に味わってもらいたかった・・・が、はじめて接するアボリジニの女性に家族はどうも緊張を隠せない。彼女が出演したウルルン滞在記のビデオを見ながら食事をしたのだが、テレビの画面の向こうで大きなトカゲの丸焼きを美味しそうに食べているバーバラが今、自分たちと一緒にコタツに入って鳥のから揚げを手づかみで食べているその現実を小学生の甥っ子たちはなかなか理解できない様子であった。

翌日我々は東京へ移動。我が家にもすっかり打ち解けたようで帰りに私の姉の靴を当たり前のごとく履いて帰った。「アボリジ二の社会では全てが共有だから。ね、ね、お姉ちゃん。ごめん。後でさ。買って返すからさ。」と私は目配せを何度も姉に送りながらさっさと家を出た。

そんなことよりも普段、砂漠で暮らす彼女に「東京」とはいったいどのように映るのであろうか。そんなことを考えながら銀座のホテルにチェックイン。1人でホテルの部屋のような密室にいるのは嫌だからと、部屋は私と一緒のツインを希望。ホテルに完備してある歯磨きセットや洗面用具などをひとつひとつ彼女に説明。朝の歯磨きを普段しない彼女に歯磨き粉を見せたらそのままチューブを口に入れたので慌ててストップ。

そんな彼女と始まった笑いあり・涙ありの(これは私が始終流したもの)日本滞在2週間。後編をどうぞご期待ください。