今回は、頂いたお便りやよく聞かれる質問にお答えいたします。皆さんもアボリジナルアートに関してお知りになりたいことがあれば、お気軽にご質問ください。

一番尊敬しているアーティストは誰ですか?

うーーん。たくさんいますから難しいですねえ。でも最も印象に残っているのが6年前に86歳で亡くなられた女性アーティスト「エマリー」でしょうか。1996年に私はHNKテレビの取材で彼女とオーストラリア砂漠のど真ん中で4日間密着生活をしたので尚更なのですが。

彼女がはじめて絵筆を握ったのが78歳の時ですから、亡くなるまでわずか8年という画家としてのとても短いキャリアの中で、実にユニークにスタイルをいくつも変えて彼女独自の画法を創り出していった素晴らしさは、今後も多くの方々にご紹介したいですね。彼女は一度も美術館へ訪れたこともなければ自分が「画家」だという概念も持たずに、全く西洋美術の影響を受けずして、ダイナミックにコンテポラリーアートを築いたオーストラリアを代表する偉大な画家なのです。

これまで人々が抱いていた、アボリジナルアートのエスニック的イメージから斬新なるモダンアートへとエマリーが見事にその橋渡しをしたようなそんな気がしています。

日本でのアボリジニナルアートへの評価は?

いやいや・・・正直言ってまだまだ「評価」なんていうところへは到達していません。おかげさまで昨年は日本で初めてのアボリジナルアート巡回展(全国を4箇所廻りました。)を何とか実現させました。これまで日本人にとって”ゼロ”の段階だったアボリジナルアートがようやく「ああ、アボリジニね。知ってる知ってる。オーストラリアのあれね」というようなレベルにまで持っていくことが出来たと確信しています。これまで地道にずっとあきらめずに啓蒙活動をしてきて本当に良かったと思えた瞬間でもあります・・・

これはもう自己満足でしかないんですけれどね。それぞれの美術館でこの展覧会の開催を試みた学芸員の方々からも「とにかく興味深い企画だった。自分たちが十分楽しめる展覧会だった。」というお褒めの言葉をいただけて、私はますます舞い上がりました。

読む・書くといった「文字」を持たないアボリジニにとって「絵を描くこと」は大事な伝達の手段なのです。何万年も前から語り伝えられてきた情報や砂漠で生き抜くための知恵・神話・・・それらを今でもアボリジニは「絵画」という方法で先祖と確実にコミュニケーションをとっているのです。

日本での展覧会は終了してしまいましたが、今後も私のアボリジナルアートへのプロモーションは変わらずに続きます。重たいカタログを小脇に抱えて、この夏もまたエッコラエッコラと汗を拭きながら、銀座の画廊を廻ることでしょう。たとえ時間がかかってもいいのです。本当に素晴らしい芸術だと自分の心がそう信じるのですからこれからも気長に“アボリジニねえちゃん”と言われながらにやにやしていますよ。芸術に「境界線」はないのですからね。

砂漠で食べたイモムシの味は?

アボリジニの女性たちと一緒に「狩り」に行くという行為は私にとってはそれはそれは貴重な情報収集になります。何しろ目的地まで向かう間に、彼女たちからいろいろなストーリーを聞くことが出来ますし、またその現場に一緒にいられるということが彼女たちから大きな信頼を得た証でもあったりするのです。(アボリジニの居住区に入って最も大事なことはまず、彼等に自分がナニモノなのかを理解してもらうことですからね。)

興味の対象である人間に彼等は様々な質問を投げかけてきます。私だって必ず「身の上調査」をされるのです。そんな貴重な「狩り」に同行できて、獲ったイモムシが自分の手のひらの上でゆっくり動いているのを見た時には一瞬涙も出そうになりましたが、アボリジニ社会では多くのものを仲間や家族と共有するので、食べるように勧められて首を振ることは出来ません。うーーん、せめて焼いて食べさせておくれよ..お願いしますよ・・・・・と心の中でつぶやきましたが、まわりから一斉に浴びる注目の中そんなことは言っちゃあいられません。イチ・ニイ・のサンで口に入れたら「ぷにゅうっ」と生温かい液体が口の中いっぱいに広がりました。感覚としては生卵を食べた感じでしょうか。美味しいとかマズイとかそんなことわからないほど頭の中は興奮と動揺でいっぱいでした。・・・いま、はっきりと覚えているのはそれだけです。

感銘、驚きを一番受けた出来事は?

これはとても「言葉」では言い表せないことばかりです。何しろ自分のハートでいつも感じることですから。アボリジニ居住区へいつも入る度に、「また訪れたい」と私に必ず思わせる何かがそこにはあるのです。何日もシャワーを浴びられず頭がかゆくなっても、ダニだらけの犬たちに追っ掛けられても、マイナス3度のテントの中でまるで自分が茶巾寿司にでもなったかのように背中を丸めて寝袋に包って寝ることになっても、毎回彼等のホットなハートに触れられることが私の「アボリジニ熱」をますます高めていくんだと思っています。

長い長い間、孤立したオーストラリア大陸で狩猟・採集のみで暮らしてきた彼等の奥深い文化・芸術は、私たち現代人には計り知れないことばかり。アボリジニたちは自然と、それはそれはうまくハーモニーしながらオーストラリアの「大地」をしっかりと守ってきたのです。毎回想像を絶する事に遭遇してギャフンと言わされることばかりです。