2000年に6年間勤務をした画廊を辞めてからおよそ一年間、じいいいいーーと自宅でおとなしくコツコツとアボリジナルアート展覧会カタログの翻訳作業をしていたことは確か先月号で話をした記憶がある。その一年間の潜伏期間(・・・というと、まるで犯罪者か病原菌のように聞こえるであろうが)のあと、私は泣くような貧乏状態からメルボルン市内にアボリジナルアートの事務所を設立する一大決心をした。“ギャラリー”なんていうようなかしこまった空間ではなく誰もがいつでも自由にアボリジニの絵画をご覧いただける、そして私のアボリジニ話にお付き合いいただける、そんな場所を設けたかったのが実情であった。(それにしては事務所のドアがいつも閉まっているではないかとのご意見あり。ごめんなさい。出張中です。)

資本金・・・・そんなものはほとんどなく、それでも少しでも部屋をカッコよく見せようとあれこれ準備をしたらあっという間にお金がなくなってしまったというのはここだけの話である。そういえば余談であるが、画廊を退職する直前に「デッサン・モデルのバイトをしないか?」と声をかけてきたいかにも怪しそうな人相の「作家」と名乗る男性がいた。「え?ヌード?」じきに定収入の道が途絶える私にとって「デッサン・モデル」のバイトは当然ヌードに決まっている、と私の“常識”が勝手に判断した。バイト代ははずんでくれるんだろうか・・・なんて、ただその場を盛り上げるためにきゃーきゃー言いながら尋ねてみたりもしたが、長い時間、同じポーズをずっと取っているなんてことはただでさえ肩凝りのひどい私にはまるで向かないのではっきりと断った。・・というか、ああだこうだと文句を言っていたら「うるさい人間はモデルには不向きだ」とあっさり先方から断られた・・と言うのが実は正しい。

さて、話をもとに戻そう。一大決心をして事務所設立、独立起業をするとなるとまず「名刺」が必要となる。とりあえず1000枚作成してみた。メルボルンで、日本で、いつも会う人ごとに手裏剣のように配り歩いているためか設立からすでに6ヶ月が経つ現在、その1000枚の名刺はきれいになくなった。こんなふうにアボリジナルアートも完売できたらどんなにうれしいだろうに・・なんてそう思いながら今日も名刺配りに出掛けようっと。

新しい名刺が完成し、事務所に電話を取り付け、あとはコンピューターを作動させれば一応は仕事が出来る環境である。念願の自分のオフィスの完成だ。取り合えず現代人の仲間入りである(・・と思っている)この私も日々コンピューターを使用して“びじねすうーまん”らしきものを演じてはいるが、ほんとはこれまた厄介であることも事実である。

そのコンピューターであるが、思い起こせば1997年が私にとってのインターネット元年であった。それまでは悪戦苦闘をしながらワープロを使いこなすのがやっとで、私自身インターネットが一体何なのかを知るゆえもないまま知人の勧めでコンピューターを購入し、同時にインターネットに接続できる環境を完備させた。それまでインターネットがどういう仕組みのものなのかを全く知らなかった私は、プロバイダーの人に取りあえず使用方法を聞いたがその後も「だからそれがなんになるってーの?」と、別に大した期待も持たなかった。恐る恐る自分で接続をしたのは実にそれから数ヵ月も経ったあとのことである。

根が怠惰なくせに、好奇心だけは人一倍強い私はインターネットを使えるようになったことがまるで「人類月面への第一歩」とか「初のチョモランマ登頂」みたいな気分になれた。私の実家の母親も、一時帰国中の私がお茶の間でインターネットをして遊んでいると隣で目をまん丸くしながらまるで明治時代に初めて写真という技術に出会った日本人のように「魂が吸い取られそうだ」などという反応を見せる。そんな彼女はいまだにEメールどころかメルボルンに住む私にファックスを送ることすら試みようとしない。

しかし、このインターネット情報のおかげで私は遥か海を越えた実に様々な方々からたびたび連絡をいただく機会に恵まれるようになった。大半は日本からであるが、あるときにはカナダの果てから、またあるときにはメキシコの奥地からというものもあった。そのうえ先日の東京出張中に招かれたアートレセプションのパーティーでは、全く知らない女性から「あ、内田さんですよね。アボリジニの。《あらやだ。“アボリジナルアート”の、って言って欲しいもんだけど。》わたし、インターネットで内田さんのこと観たんです。顔も覚えていました。」と言われて一瞬“ぎょっ”とした表情を見せた私であるが、すぐに彼女とも意気投合して一緒にワインをがぶ飲みする仲間となった。

こんなふうに、インターネットという電話回線を通して遠く離れた海の向こうの・・・コンピューターの向こうにいるアボリジナルアートを愛する人たちとこれからもたくさん出逢えればいいなと心からそう願っている。なんといっても自分の見えないところで知らない人たちとつながっていると思えること、それがインターネットであるのだから。今後は私の愛する砂漠のアイドルたち(もちろん、“裸足のアーティスト”として活躍するアボリジニたちであります)をひとりでも多くインターネットでご紹介をしていこうと思っている。それにしてもインターネットってのは、ほんとにすごいもんだ。