たくさんの懐かしい顔ぶれに再会をし、心が満タンに満たされた久し振りのアボリジニ村訪問。しかしながら、12年前にオレ様が初めて訪れた時の村の環境とは随分異なっているのを、今回の滞在でひしひしと感じた。

それは、まずオレ様をいつもかわいがって面倒を見てくれていた長老達が、皆他界してしまったというのがひとつの大きな理由だろう。現在出版されている様々な人類学関連の書物に、アボリジニの平均寿命はそれほど長くないということが多々書かれているのだが。いやはや…オレ様が普段出入りしているマウント・リービックというアボリジニの居住区では80歳、90歳クラスのシニア達は何人もいたし、おまけに誰よりも元気に自ら狩りへ出かけていた人達だった。
オレ様なんて、90歳になる長老の男性から「おい、明日狩りに行かないか。2人きりで」とよくお誘いを受けたもんだった。「何だ、じーさん、まだまだやる気満々じゃないか」といった雰囲気を、彼はいつもかもし出していたもんね。
とにかく皆元気モリモリなのだ。顔のツヤはピカピカだし、狩りで鍛えた肉体なんて見事なものだった。かなりの筋肉質で非常にかっこ良い。それに比べて、加齢とともに身体中の肉がぶらさがっていく傾向にあるオレ様とは、まるで比較にならない。

そんな元気だった彼らが、どういうわけだか昨年から次々と亡くなってしまったという連絡を、村の白人コーディネーターから電話で聞かされた。例の90歳の元気じーさんも、突然の心臓発作であっという間に他界してしまったそうだ。オレ様はその信じがたい現実を受け入れるのに、たくさんの時間を要さなければならなかった。
しかし、1人でメソメソしていても現実は何も変わらない。そう思ったオレ様は、すぐに砂漠への旅の準備を開始して、2日後にはもうアリススプリングスへと向かったのだった。

長老達のいないアボリジニ村は、どことなく虚無感を覚える。村の運営システム自体は何も変わっちゃいないのだが、どことなく『空気』が違うのだ。これは言葉で説明しろと言われても実に困ってしまう。オレ様が皮膚感覚で感じる独特の空気なのだから。
長老のアボリジニ達がいなくなった居住区を支えていくのは、必然的に若者世代が中心となる。彼らは西洋文化にとても敏感で、それこそ毎日のように西洋の音楽を聴き(ほとんどがロックンロール)、スーパーででき合いのフライドチキンやミートパイを常食とし、週末になると車をぶっ飛ばして、400km離れるアリススプリングスへ繰り出して行くのだ。
長老達のように自ら狩りに行くだなんてとんでもない。興味を示す若者はほとんどいない。彼らは自分達を「ニュー・ジェネレーション(新しい世代)」と呼んでいる。きっとこれまでの伝統と近代化のはざまで、戸惑いながらも新しい道を模索しているのだろう、とオレ様は思うが、いかがだろう。

一度彼らから『日本の歌を歌って欲しい』とせがまれたことがあった。さすがのオレ様も、彼らが生まれて初めて耳にする日本の歌を、この自分が、いざ披露するとなると気合いも高まる。よし、ここは一発オレ様に任せろ。ニッポン代表の責任を見事に果たしてみせようではないか。
そこで選んだ歌は、ピンクレディーの「UFO」。しかも振り付け入りだ。相棒がいないので独りで最後まで踊り歌った。自分で言うのもおこがましいが、若者達から拍手喝采を浴びたことは言うまでもない。それどころかその後、アボリジニ村のどこを歩いていても、あっちこっちから「ハロー。UFO、あれをまた歌ってくれ」と何度もせがまれて困り果てたほどだ。

話を元に戻そう。
思い起こせばオレ様だって、まだ若かりし18歳の時には、「こんな田舎はいやだ」と故郷を逃げ出して、東京へ移り住んだ経験がある。親元から離れた、初めてのひとり暮らしだった。都会で暮らす自由さ気ままさを存分に満喫し、真夜中のネオンがチカチカする街並みに酔いしれていたあの頃。故郷に帰りたいなんて 1度も思うことはなかった。
オレ様があの時そうであったように、アボリジニの若者達も、いずれみんなこの村を出て行ってしまうのであろうか。

アボリジニの若者達を巡る環境は決してバラ色ではない。失業率は高いし、ドラッグやアルコール依存症だってかなり深刻だ。長老達の教えをきちんと守って、厳しい通過儀礼を誠実に行うことをつまらないと考える若者達。かといって、白人社会で受け入れられるような教育を真面目に受けて、西洋化したいわけでもどうやらなさそうだ。何をしてよいのかよくわからない…。マウント・リービックの若者達と話をしていると、不確実な未来に対する苛立ちとやりきれなさのようなものを、いつもひしひしと感じるのであった。
溢れんばかりの自分達のエネルギーを、一体どこへ発散していいのかわからない、というのが現状のようだ。そんな若者達にオレ様が、「さあ、アボリジニの伝統文化をあなた達がしっかり守っていきましょう。近代主義にあまり染まってはいけません」などと軽々しく言えるはずはない。何しろこのオレ様だって、茨城での当時の生活に満足ができずに、どこかへ飛び出したいという欲求が確かにあったのだから。
そんなオレ様は茨城を出て、現在はオーストラリア先住民、アボリジニの人達の深遠なる文化とその歴史、そして他に例を見ない稀なアートに出合って、人生が大きく変わった。

アボリジニの村を出て行く若者達は、これから何に出合っていくのだろう。ただ、オレ様が茨城を決して捨てたわけではないように、いやそれどころか最近は望郷の念とも言うべきか、自分のルーツとして非常に心を惹かれるように、彼らも自分達が生まれた大地を捨てて欲しくはない、とオレ様は切実に願っている。