私は、アボリジニの人たちに会いに行くためだけにメルボルンの自宅から遥か2000キロ以上離れているオーストラリア大陸のど真ん中の小さな小さな居住区へせっせと通い続ける少し変わった日本人。
たとえ気温45度の炎天下で干し上がろうが、カンガルーの半生肉を食べて腹を壊そうが、ひどい結膜炎で目がつぶれかけようが、それでもめげずにせっせせっせと通う珍しい日本人。
『変わり者』と言われ続けてもうじき15年になるだろうか。

私にとって重要なのは『どうしても会いたい人たちに会いに行きたい』というそのときの自分の強い想いと『実際に行く』という具体的な行為そのものであって決して結果ではないということ。自分が正しいと思えることを信じる勇気こそが『変わり者・内田真弓』への大きな力となっていることは間違いない。

さて・・・その『会いたい人たち』がな、なんと!今度は私の生まれた国、ニッポンへやってくるというこのうえない機会に恵まれた。しかもそれは去る2012年3月11日・東日本大震災の追悼式という震災後一年目のわが国で開催される最も重要なセレモニーに正式に招かれたのだから感激もひとしおだ。心の底から名誉なことだと思えた。
私は彼らの初来日に際して全体のコーディネートを任された。事前のパスポートの手配から滞在中のお世話係まで、とにかく出来ることは何でもやった。

生まれて初めてパスポートを手にして海を越えてやってきた5人のアボリジニの女性たち。訪問先は福島県いわき市であった。昨年の地震津波でこの土地でも数百人の命を失っている。渡航距離はおよそ8000キロだ。。
来日するまでの詳しい経緯は先月号で詳しくお話をさせていただいたので今回はそんな彼女たちの「ニッポン滞在はじめてだらけの物語」を皆様へご披露したいと思う。

ところで、自分が未知なる国へいざ出掛けることになったときあなたならまず何を思うだろうか。
恐らくすぐにインターネットであれこれと知りたいことを次から次へと検索していく?
もしくは自分のブログやFACEBOOKでその渡航先の情報を友人・知人から入手する?
何はともあれ今のこの時代、あらゆる手段を使って情報収集が容易にできる環境であることは間違いないだろう。

しかしながら砂漠で暮らす、私が普段たくさんの時間を共有するアボリジニの人々はインターネットの存在をほとんど知らない。
テレビすらあまり観ることはなく、いま世の中で何がどんな風に起こっているのかなど気に留める様子もない。
彼らが最も大事にしていることは自分たちの家族と広大な大地とのコミュニケーション。
何よりもそれらへのケアが一番重要だと信じる人々だ。
だからそんな彼らに「日本」の存在を聞いても答えはみな同じ。「ジャッキーチェーンが住んでる国」と口々にそう言い放つ。彼らにとっては香港も日本ももはやみんな一緒のようだ。そうだ。そうだ。同じアジアだ。世界はひとつ、人類はみな兄弟だ。ジャッキーチェーン、ニッポン万歳だ!!!!
インチキコーディネーター、テンション上がりまくりで彼女たちを日本で出迎えることに。

さて、アボリジニの女性たちが来日後に初めて訪れたのは福島県いわき市で有名なリゾート施設「スパリゾート・ハワイアンズ」だった。ここも昨年の大惨事で大きな被害を受け、やっと営業が再開したのは我々が訪ねるほんの少し前だとうかがった。そのスパリゾートでは美しい日本人女性たちによる見事なフラダンスショーが間近で鑑賞でき、おまけに宿泊客は館内でみなアロハシャツを着てのんびりくつろいでいる。館内の温度もハワイらしくと30度に設定されていたため、アボリジニの女性たちはみな額に汗をかいていた。気分はもはやすっかりハワイアンムードだ。
・・・といっても彼女たちにとってはハワイがどこにあるのか何なのか、さっぱりわかっていない。当然である。
だから後日、自分たちの村へ戻って「日本でハワイに行って来た」と子供たちにそう聞かせていた。村の子供たちも「うん、うん。ハワイは日本か。」と楽しそうに写真を眺めながらそううなずいていた。。。。

ハワイアンムードにたっぷり浸った翌朝、目が覚めると外には真っ白な雪が舞っていた。
今度は「ハワイで雪を見てきた」と言いかねない彼女たちだがもうそんなことはどうでもいい。きゃっきゃ、きゃっきゃと騒ぎながら私のデジカメを勝手にカバンの中から取り出して写真撮影する最年少のデニース、次から次へと不思議な真っ白い物体が舞い降りるのをずっと黙って見上げている長老のマリリン。私は彼女たちのそんな様子を見ているだけでとても幸せな気分になれたのだから。

今回の来日にあたって私はアボリジニの人たちにこれでもかというほどたくさんの話をしてきた。昨年、東日本を襲った大惨事でどれだけ多くの人々が命を奪われ心に傷を負い、またそれに立ち向かうべく努力をしているか。そして全世界からの絶大なるサポートを受けたことへの感謝の気持ちなど出来るだけ簡単な英語と私の下手くそなルリチャ語を駆使して「だからこそあなたたちが日本へ招かれたんだ」
とその価値と意義を一生懸命説明した。

いよいよ追悼式まであと1日。アボリジニの女性たちが被災者の方々へ「大地の祈り」を披露する日がやってくる。
見知らぬ大観衆の前で果たしてうまく踊れるだろうか。歌は間違えないで歌えるだろうか。
ハラハラドキドキの私は前夜、みんなを集めて部屋でリハーサルを行う提案した。
「眠いからやりたくない。それより腹減った。何か食べさせて」と大食いのキャロルがあくびをしながらそう言う。彼女は朝起きた瞬間から何を食べようかと考えている女性。食事が一日3回だなんて一体誰が決めたんだと怒る女性。そんな彼女に長老マリリンがぴしゃりと一言。「何を言っているんだ。我々はジャパンのために遠くからやってきたんだ。
さあ、やるよ。練習やるよ。」と全員を奮起づけたではないか。
きゃー!マリリン。さすが長老。カッコいいーーーー!!!!

ということでそれからおよそ1時間、翌日の本番に備えて我々はパジャマ姿で祈りの歌と踊りを真剣に練習した。
その後、一汗かいたからと旅館の大浴場へ皆様をご案内。もちろん砂漠の女王様たちにとっては生まれて初めての温泉体験だ。長い間、水の乏しい土地で生きてきたアボリジニの人たちにとって水は生き延びるために飲む大切なものであるがゆえ、身体を洗ったりするなんていう発想はまるでない。だから目の前の大きな熱い湯たっぷりの浴槽を眺めながら人一倍怖がりなクラリスおばちゃんは「これって足はちゃんと底に着くのか?」と恐る恐る私に尋ねてきた。
「なぁーに大丈夫!着く。着く。ちゃんと着く。ほおぉ~らね。ジャッポーン!」と一番に飛び込んでみせた変わり者コーディネーター。中のお湯があまりにも熱くて危うく死にそうになったことはいまだ誰にも言っていない(涙)

(DengonNet8月号寄稿)
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【東日本大震災追悼式 – 1 】アボリジニ御一行様来日 前編
【東日本大震災追悼式 – 2】アボリジニ御一行様来日 後編
【東日本大震災追悼式 -4】日本滞在はじめて物語 後編
【動画】アボリジニがやって来た~いわき市 東日本大震災3.11追悼集会のために~