念のためにセットしていた目覚ましアラームよりも早く目が覚めた私は追悼式当日、会場へ出掛ける前の彼女たちへあることを計画していた。何しろ今日はたくさんの人前で歌や踊りを披露するんだからね。
前の晩はちゃんと風呂に入って身体をしっかり洗ったからオッケー。

じゃあ今度はお肌をスベスベにしてもらおうじゃないかと一人ひとりにフェイシャルエステをプレゼント。
これまた彼女たちにとっては初めての体験だった。
地元のエステシャン3人にそれぞれ旅館の部屋へわざわざ来ていただき一人20分間のクイックエステを行ってもらったのだがこれが大好評でみなそれはそれは大騒ぎ。
ああ。やはり同じ女性なんだわーーー美しくなることに喜びを感じているわーーと黒い肌に真っ白なフェイスマスクを覆った彼女たちの不気味な姿を眺めながら普段砂漠でトカゲを丸かじりしている人と、とても同一人物だとは思えないよなーーなんてことを私はふと思い起こしてにやけていた。



追悼式当日、前から懸念されていた天候はかなり回復はしたもののやはり気温はとても低く特に風が冷たかった。パフォーマンスの披露は津波が襲ったという海岸沿いに設定された。そう、海風ぴゅーぴゅー吹き荒れる寒い場所だ。
気温40度の砂漠からやってきたアボリジニの女性たちは本来であれば、身体にボディ・ペイントを施し上半身裸で踊りを披露する・・・・
はずだったのだが。。。。
このとんでもない寒さではさすがにみな着込んでいたダウンジャケットを脱ごうとはせず、それどころか見知らぬ大観衆の前でもじもじして誰一人声が出ない。
「ゆうべのリハーサルどおりにやればいいんだよ。ね。ね。」と昨晩あんなに張り切っていた長老の耳元で私はそうささやいたがあまりの緊張で長老は身体が完全に固まってしまっていた。反応まったくなし。
こりゃ。まずいな。
うーーん。困ったぞ。
すると機転を利かせた司会者の方が会場の観衆者へ今回彼女たちが来日したいきさつを話し始めてくださり見事に場をつないでくださったのだ。
その間、再度長老の耳元で「りらーーっくす。りらーーーっくす。ゆー、うぃるびー、おーけー。ゆー、きゃん、どぅ、いっと。」とささやいて彼女の腰にそうっと手を回したそのとき・・・長老の足が少しずつ動き出した。
小刻みに両足でステップを踏むしぐさ。アボリジニの伝統的な女性の踊りである。
それに続いて今度は歌が伴った。あとの4人もややうつむき加減ではあったがみな歌いだしたではないか。
素晴らしい。いいぞ。やったー!被災地の皆様へこの想いがちゃんと届きますように・・・私は彼女たちの歌を聞きながらそれだけを祈っていた。その歌が終わりかけたころ、さっきまでもじもじしていた長老マリリンが今度は何とマイクを持って観衆へ語りだしたのだ。

「昨年日本の大惨事を知ったとき、私たちアボリジニはみな涙を流しました。そしてすぐに日本のために祈りました。
ジャパン、ナイスカントリー。ジャパン、ナイスピープル。ウィ、ライク、ジャパン。サンキュー。」と短い言葉ではあったが彼女の熱い日本への想いは間違いなく観衆へ届いたと鳴り止まない大拍手を聞いて私はそう確信した。

大役を無事に終えた砂漠の女王様5人組。
その後は東京へ移動して念願の「東京ディズニーランド」で一日遊んだ。

私の任務もそろそろ終了だわーーとふと気を許したそのとき・・・
大食いキャロルをディズニーランドで見失ってしまったのだ。大変だ。大変だ。彼女はどこに行っちまったんだ。もちろん携帯なんて持っておらず探しようがない。途方に暮れていた私に最年少デニースが「もしかしたらあそこにいるかもよ」と指差した場所は美味しそうなハンバーガーの看板があるレストラン。
半信半疑で中をのぞいた私の視界に入ってきたのはカウンターで特大ハンバーガーセットとオレンジジュースを自分で注文していた大食いキャロルの姿だった。何やらポケットに残金2000円があったらしい。
獲物を探し追い求める能力はさすがアボリジニだ。
彼女こそ地球上で最後まで生き残れる強い女性だと確信した瞬間だった。

こうして5人のアボリジニの女性たちの初来日生まれて初めて体験物語は様々なドラマを展開させながらも涙あり、笑いありの素晴らしい6日間であったことはいうまでもない。

来日に際してご尽力下さった関係者のすべての皆様にこの場をお借りして心より御礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

(DengonNet8月号寄稿)
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【東日本大震災追悼式 – 1 】アボリジニ御一行様来日 前編
【東日本大震災追悼式 – 2】アボリジニ御一行様来日 後編
【東日本大震災追悼式 – 3】日本滞在はじめて物語 前編
【動画】アボリジニがやって来た~いわき市 東日本大震災3.11追悼集会のために~