3月9日。追悼式の2日前が彼らの来日となった。カンタス便を乗り継ぎながら初めてパスポートを握り締めて成田空港へやってくる砂漠のご一行様。渡航日数はまるまる2日間かかった。彼らにとっては実に長い長い道のりだった。

到着が早朝6時というとんでもなく早い時刻だったため、私は当日空港で彼らを出迎えるために前の晩から成田空港周辺のホテルへ泊まってスタンバイした。朝4時に目覚ましのアラームをセットしたがもう脳みそが思いっきり興奮しちゃっているせいでとても眠れたもんじゃない。そこで布団からむっくり起き出した私は事前に購入しておいた、たたみ1畳分ぐらいの大きさはある日本とオーストラリアの特大国旗をそれぞれひとつの棒に合わせてくくりつける作業を突然始め、明日はこのでっかい旗を大きくバサバサ振って空港出口で彼らを出迎えてあげよう。。。彼らの笑顔を想像するだけで幸せな気持ちになれる自分がいた。

ところが翌朝、その特大国旗を堂々と掲げて出口で彼らの到着を待ち構えていた私を呼び止めたのは制服を着た若いあんちゃん。。。空港警備員だった。
「この旗はどうされたんですか。何に使われるんですか。サイズが大きすぎやしませんか。誰が来られるんですか。」
と、いきなりあんちゃんからの質問攻めに合うではないか。

だめよ。だめだめ。私にはあなたと今ここでおしゃべりしている時間はないの。ほら、こんなことしている間に、彼らが出口から出てくる瞬間を見逃してしまうかもしれないじゃない。お願い、あっちへ行って。私にもう話しかけないで。

なんちゃってコーディネーターは時には女優にも変身する。気分はすっかりオスカー賞受賞主演女優、メリル・ストリープだった。25年前に他界した田舎の婆ちゃんのことを無理やり思い出してうっすら涙ぐんでもみせた。そして「オーストラリアから、もうすぐとても大切な方たちが到着されるんです。」そうあんちゃんに涙目で訴えながらも、もはや目線はあっちへこっちへと飛んじゃっていて出口の方ばかりが気になった。

一歩間違えば、挙動不審者扱いで空港刑務所にぶち込まれていたかもしれない。いや、それならそれでもいいと思った。彼らに昨晩夜なべをしてこしらえた特大両国親睦国旗《←今、考えた》を一目見てもらえるのなら、空港で一夜を明かしてもよかろうと。

するとそのとき!出口付近から「ナッカマラー。ナッカマラー!」(←私がいつもアボリジニの人たちに呼ばれているスキンネーム)とアボリジニの長老、マリリンの声が!!!!ニコニコ笑って大きく両手を私に振っている。そして次々に来日豪華メンバーが私の視界に入ってきた途端、あまりの感激で思わず鼻の奥がつーーんと痛くなった。と同時に、気温8度の日本にノースリーブでぞろぞろやってきた彼らの服装を見て大笑いした。そうだよね。砂漠は気温40度以上あったんだもんね。「ウエルカム、ジャパン!本当に良く来てくれたね。」そう言って一人ひとりと強く抱擁している間にさっきの制服来た若いあんちゃんの姿は消えていなくなっていた。運よく投獄を免れた熟女の異常なほどの舞い上がり。怖いものは何もなかった。

人間、異なる環境に自分の身を置くことで価値観が大きく変わるものだと確信する私。今回、初来日をした5人の砂漠の女王様たちは自分たちが何故日本に招かれたのか・・・日本へやってきた意義をどう捉えているのか・・・津波が襲った被災地の現場を見て彼女たちはいったい何を思うのか。そして私が生まれた国、ニッポンが彼女たちにいかように映るのか。

期待と不安を抱きながら一緒に過ごした日本滞在6日間はまさに笑いあり、涙あり、失踪事件ありのドラマが繰り広げられた毎日だった。

生まれて初めて手にしたパスポート、生まれて初めて入った温泉、生まれて初めて買い物した100円ショップ、生まれて初めて食べたラーメンの味、生まれて初めて体験したエステ、生まれて初めて乗った地下鉄、生まれて初めて訪れた東京ディズニーランド・などなど。
たった6日間の間に、実にたくさんの“生まれて初めて”を日本で体験したアボリジニ女性たちのどきどきジャパンステイを次号でもう少しだけ詳しくお話させていただきたいと思う。
お楽しみに。

DengonNet7月号寄稿
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【東日本大震災追悼式 – 1 】アボリジニ御一行様来日 前編
【東日本大震災追悼式 – 3】日本滞在はじめて物語 前編
【東日本大震災追悼式 -4】日本滞在はじめて物語 後編
【動画】アボリジニがやって来た~いわき市 東日本大震災3.11追悼集会のために~