Collection: tokyo2022

  • ブッシュポテトドリーミング

    ブッシュポテトドリーミング

    作者はユトーピアの女性画家では1990年代後半から絵画制作に励んでいた期待の若手作家である。

    細やかな点描は乾燥した砂漠地帯にようやく夏の雨が降ったあと、色とりどりの草花が咲き乱れそこにブッシュヤムポテト(注:乾燥したオーストラリアの中央砂漠でアボリジニたちの大切な食料源となるイモ科の植物で栄養価が高いもの)の種の部分を描いている。これは作者の描く作品で主題となることが多く、そのブッシュヤムポテトは自分の母親のカントリーに生息するものだという。

    カラフルでユニークな図案が人気であり近年ではファン層も広がってきた。作者が絵画を描くということは大地と自分との関わりの表現であり、これははるか太古から伝承されてきた祖先からの大切なメッセージ。それを現在においても確実に守り続ける作者は絵を描くときには自分が重要な儀式を行っているのと同じなのだと誇らしげにいう。

  • ボディペイント

    ボディペイント

    1930年に西オーストラリアとノーザンテリトリーの州境にあるギブソン砂漠周辺で生まれた。その後は両親とともに移動生活を営みながら幼少期を過ごす。

    1971年に中央砂漠においてアボリジナルアートムーブメントが起こった際にパパニアコミュニティで暮らしていた作者はその第一世代目の画家として注目を集め始める。

    とても頭が良く、当時は薬草を用いてあらゆる病も治す力を備えていたことから居住区内では周りから「ドクター」と呼ばれた。現在の名前の由来でもある。

    迷いのない大胆なラインはアボリジニの男性達が成人儀礼(通過儀礼)を行うときに自分たちの身体に描く“ボディペイント”でそれは成人男性だけに公開されるドリーミング(アボリジニ社会で伝承されている独創的な世界観・思想のこと)であるため、女性や子供達、そしてアウトサイダー達には一切明かされることはないという。これまでにもグループ展、個展がオーストラリアの国内はもとより、インターナショナルでも数多く開催されいまやコレクターも世界各地に存在するようになった。

    2017年に老衰のため永眠。

    コレクション:

    National Gallery of Australia / Canberra

    National Gallery of Victoria / Melbourne              

    Art Gallery of NSW / Sydney

  • ウォーター・ドリーミング

    ウォーター・ドリーミング

    図案に見られる同心円は、遥か太古に自分たちの大地(カントリー)を創造した精霊たちが水場を求めてたどった道のりを表す。

    水のもっとも乏しい中央砂漠では水のありかを見つけられるという能力は砂漠でどれだけ生き延びられるかというアボリジニの人々にとっては何よりも大事な情報だ。読む・書くといった文字を持たなかった無文字社会で生きてきたアボリジニの人々にとってそれらの情報を目で見る言語として絵画に表し何世代にも渡って伝承してきている。

    アボリジニの社会では自分たちの祖先(精霊たち)が訪れた水場やそこまでたどった道筋などを歌や踊り、そして絵画として記憶しそれらを確実に記憶する。その行程をアボリジニの人たちは“ソングライン”や“ドリーミング”と呼び、儀式を通じて壮大なストーリーの伝達を行うのである。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1978 年生まれの若手女性アーティスト。

    遥か太古からオーストラリア中央砂漠に住むアボリジニの人々は水や食物を求めながら移動をしていた狩猟採集民族であった。地図も道路標識も何も無い大陸でも、彼等は大地の「声」を聞きながら、何も不自由することなく自由自在に移動をしていたのである。

    そして乾燥した赤茶色の大地を見ながら「ここは生命(いのち)溢れる豊穣な土地。我々のスーパーマーケットだ。」と誇らしげに言うのだ。

    この作品はそのアボリジナルの人々たちの旅程を表すものであり、環状の図形は祖先が訪れたひとつひとつの水場を表す。乾燥した砂漠地帯で「水」のありかを探し求める能力があるということはそこでどれだけ生き延びられるのかという欠かせない情報であり、その水場はやがて聖地となり現在においても深いゆかりある地として敬われている。

  • ノーラの故郷

    ノーラの故郷

    1948年生まれ。

    自分たちのカントリーが日々正しく機能しているかどうか、アボリジナルの人々は常に「大地の表情」を静観し、常にカントリーに呼びかけながらその日のご機嫌をうかがう。それは“ドリーミング”(アボリジニ社会における独特な思想・世界観)として何世代にも渡って伝承されるもので、彼らが厳しい環境の中で生きるための“バイブル”でもあるのだ。

    無文字社会で暮らした彼らはそれを「歌」や「踊り」、そして「絵画」で伝えてきた。一晩中、儀式で歌い踊り、精霊たちと交流をしながらこの「世界の成り立ち」を学んでいくことはアボリジニ社会では重要不可欠なことなのだ。

    図案に描かれる同心円はかつて精霊たちがカントリーを土地から土地へと旅をしながら創り上げた水場であり、それがやがて聖地となって自分たちをずっと見守り続けてくれるのだと作者は誇らしげにいう。

  • ブッシュメディスン

    ブッシュメディスン

    作者は1977年生まれ。幼い頃から積極的に絵画制作をしていた親族が自分の周りに数多くいたという環境から、自らも常に絵を描くことに興味を抱いていたという。

    グループ展で出展を始めたのは2007年以降。斬新な色合いとユニークな筆遣い画法が支持され、最近ではオーストラリア国内のインテリア雑誌などにもしばしば登場する活躍ぶりだ。国内でのファン層は厚く、現在は海外にもコレクターが多数存在するほど人気はうなぎ上りである。

    物質文明からもっともかけ離れた環境で、遥か5万年前の太古から野生で得られるものだけで生き延びてきたアボリジニの人々。主題である「ブッシュメディスン・薬草の物語」は、西洋医学とは無縁だった時代にアボリジナルの人々が病を治すために服用してきた薬草にまつわるストーリーである。何千種類もある薬草がどの病に効用するのか、「大地」を守り抜いてきた「命の物語」を継承された人々だからこそ見極める力が備わっているのだろう。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1910年ごろアリススプリングスの北東にあるアボリジニ居住区、ユトーピア地域に生まれる。

    今日ではオーストラリアを代表するアボリジニ画家として幅広く知られ、国内はもとより世界中のメジャーな美術館、またアートコレクターたちより非常に高い評価を受けている。

    オーストラリア先住民アボリジニであり、砂漠で生涯を送った作者が初めて作品を発表したのは年齢が70代後半、1988年であった。以後、86歳で生涯を閉じるまでのわずか8年間に作者は、次々と図柄や手法を変えながらおよそ3000点以上もの作品を残したという、まさに彗星のごとく現れた驚くべき
    人物として大きな注目を浴びたことは言うまでもない。

    エミリー・ウングワレーは極めてモダンな、美しく自由で革新的な芸術を創造し、20世紀が生んだもっとも偉大な抽象画家のひとりと言われている。

    1996年9月に永眠。その翌年の1997年、ベネチア・ビエンナーレ美術展にはオーストラリアの代表画家として特別出品され、世界的に高い評価を得たことで多くのアートファンたちを魅了した。

    作者の独創的な技法である大きなドット《点描》を何層にも重ねるスタイルはパワフルで尚且つエネルギッシュでありながらも、優雅で華やか。観る側の心を大きく揺さぶる力がある。

    そんな彼女の作品が2007年、オーストラリアで行われたアートオークションで1ミリオンオーストラリアドル(日本円でおよそ9800万円)で落札されたことは大きな話題になった。オーストラリアの女性画家としては当時最高落札価格となり、いまだにこの記録は破られていない。

    西洋美術とは無縁の環境で生まれ育ちながら、革新的な絵画世界を創造した画家の魅力溢れる大回顧展「アボリジニが生んだ天才画家、エミリー・ウングワレー展」が2008年に大阪国立国際美術館・東京国立新美術館で開催された際、日本ではまだ無名であった高齢の豪州先住民の女性画家の展示会に、延べ12万人以上の観客を動員したことは誰もをあっと言わせ大きな話題となった。(この展示会は天皇陛下ご夫妻もご高覧された。)

    あれから16年の歳月が流れた今もなお「記憶に残る素晴らしい展覧会」だったと多くの人々が高く評価をしている。

  • マイカントリー

    マイカントリー

    長年注目を集めてきたベテラン女性画家の一人である。

    コミュニティ内でも長老的な役割を担う作者の描くテーマは常に「マイ・カントリー(我が故郷)」。自らが強い想いを寄せる大地には実に様々な物語が存在するのだ。

    幼少のころは家族とともに、大地を移動しながら狩猟採集生活をしていた。それゆえ、今こそ電化製品が完備する居住区で暮らしながらも毎日好んで狩りへ出掛けて行ったという。

    自らが生まれ育った故郷をダイナミックに描く力強い独創的な図案は多くのファンを唸らせ、オーストラリア国内はもとより海外のコレクターたちも作品に胸を躍らす。

    西洋美術から一番かけ離れた環境で暮らすはずの作者の先天的な美的センスには誰もが目を見張るのは当然のことであろう。

    2019年 老衰のため永眠

    コレクション:
    British Museum
    National Gallery of Victoria Collection
    Patrick Corrigan Collection
    W & V McGeoch Collection
    Sir Charles Gairdner Collection

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    長年注目を集めてきたベテラン女性画家の一人である。

    コミュニティ内でも長老的な役割を担う作者の描くテーマは常に「マイ・カントリー(我が故郷)」。自らが強い想いを寄せる大地には実に様々な物語が存在するのだ。

    幼少のころは家族とともに、大地を移動しながら狩猟採集生活をしていた。それゆえ、今こそ電化製品が完備する居住区で暮らしながらも毎日好んで狩りへ出かけて行ったという。

    自らが生まれ育った故郷をダイナミックに描く力強い独創的な図案は多くのファンを唸らせ、オーストラリア国内はもとより海外のコレクターたちも作品に胸を躍らす。

    西洋美術から一番かけ離れた環境で暮らすはずの作者の先天的な美的センスには誰もが目を見張るのは当然のことであろう。

    2019年、老衰のため永眠。

    コレクション:
    British Museum
    National Gallery of Victoria Collection
    Patrick Corrigan Collection
    W & V McGeoch Collection
    Sir Charles Gairdner Collection

  • マイカントリー

    マイカントリー

    遥か昔、アボリジニの人々は自分たちの祖先が訪れた水場やそこをたどった道筋や行程を“ソングライン”や“ドリーミング”と呼ぶことが多い。

    「読む」「書く」といった文字を持たなかった無文字社会で生きてきた彼らはそれらを歌で「記憶」し、絵を描いて視覚で「記録」をしてきた。それが、何世代にも渡って何ひとつ変わることなくいま現在においても確実に伝承されてきている“ストーリー”はアボリジニ絵画を読み解く面白さのひとつでもある。

    “ドリーミング”というアボリジニ特有の思想は、実に多種多様な解説があり、いまだに多くの専門家の間でも確実な定義づけがされていない。

    中心に描かれている図案は作者の生まれ故郷である自らのカントリーをはるか太古に精霊たちが旅をしながら創り上げていった聖地の一部を表しているという。

    コレクション:
    Aboriginal Art Museum: Holland

  • マイカントリー

    マイカントリー

    間もなく年齢80歳を迎える女性作家。力強い筆さばきの中にもどこか温かみを感じる作品である。

    絵画制作を始めるまでは、居住区では高齢者施設で単調な生活を送るだけの毎日だった作者だったが「アート」を描き始めるようになってからはまるで別人のように生き生きと暮らすようになったと関係者たちがみな驚いている。

    アボリジニの人々にとって「絵を描く」というのは美術を制作することではなく自分たちの文化を次の世代に確実に継承するというもので、そのプロセスが何よりも大切なのである。文字文化を持たなかった彼らの社会において絵は芸術ではなく「視覚言語」だったのだ。つまり、私たちが普段慣れ親しんでいる西洋美術とは対極的な絵画と言えるだろう。

    最寄りの街まで900キロ。キャンバスやアクリル絵の具を街から調達するのにも一苦労である小さな居住区だが、いまやここで生まれるアートが世界各国から注目され始め、アートセンターは始終大忙しだという。

    絵を描くことが自分自身のアボリジニとしてのアイデンティティを再確認できる喜びだと誇らしげに語る作者に今後の更なる活躍を期待したい。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1940年ごろ生まれた女性画家。(出生記録が不明のため正しい生年月日の記録はない)

    伝統的な営みで暮らす家族とともに、幼少の頃は定住をせずに狩猟採集民として長い間移動生活を続けていたという。

    野生のものだけで命を繋ぐ狩猟最終生活。カントリー(大地)が毎日変わっていく表情を細部まで読み解き、地図がなくても自由自在にくまなく大地を移動できる作者は自分のカントリーを熟知している証拠だ。

    描く作品の主題は「マイカントリー 」である。図案の同心円は遥か太古に精霊たちがこの大地を創り上げるために旅をした聖地。その周辺のラインは聖地で儀礼を行なった際にアボリジニの女性たちが踊りを舞い、大地に刻んだ足跡だ。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1938年生まれ。オーストラリアの中央砂漠の北側に位置するドッカーリバー(男性の重要な儀式が行われる場所)で幼少時のほとんどを過ごしたという。

    伝統的な生活様式を重んじる狩猟採集民であった家族のもとで育ったこともあり、幼い頃は定住をせずに居住区から居住区へと常に移動の生活をしていた作者は、どこへ行っても確実に”水場のありか”だけは把握ができていた。それは祖父・父親から、いかに自分のカントリーと共生して生きるかという、アボリジニとって何よりも不可欠な知恵と情報を伝授されていたからなのだ。

    図案にあるたくさんのラインは自らが家族とともにその時に歩いた行程を表しているという。「マイ・カントリー 」とそう呼ぶ作者にとっての家は、壁のない扉のない家,大地そのものなのである。広大なオーストラリアの土地を隅々までくまなく熟知する作者ならではの生命の強さを感じる作品ではないだろうか。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    細やかで美しい点描は、乾燥した砂漠地帯にようやく雨が降ったあと色とりどりの草花が咲き乱れ、自分たちのカントリーにブッシュプラムが生息する様子を描いている。
    (注:ブッシュプラム → 乾燥したオーストラリアの中央砂漠でアボリジニたちの大切な食料源となる果物の実。ビタミンCを非常に多く含む。)

    ブッシュプラム以外にも実に多種多様な食物が砂漠には生息しており、それがいつ、どこで、どれだけ得られるのかという情報や知恵は狩猟採集民族アボリジナルの人々にとっては不可欠だ。遥か太古からカントリーと共に行きた彼らだからこそ土地を熟知する。

    細やかな美しいドットで描かれる手法が人気であり、今後ますます注目を集める女性画家のひとりであることは間違いない。

  • マイカントリー

    マイカントリー

    作品の中央部分に描かれている同心円は、アボリジニの女性たちの伝統的な儀礼が行われるキャンプ地《集合場所》を表し、そこは遥か太古に大地の精霊たちが水場を探し求めながら旅をした旅程でもあるという。

    アボリジニの女性の儀礼には重要で、かつ神聖な情報を自分達の次の世代へ確実に伝承するという大きな役割がある。

    これは水一滴ない砂漠の過酷な自然条件の中で“生きる”ために欠かせない知恵であり、その伝達のために行う儀礼には必ず自分たちの身体(肩・胸元・乳房部分)に“ボディ・ペイント”を描き、それには部族の歌・踊りを伴いながら、女性たちは幼い頃から大事な伝達の記録として記憶する。

    もともと「読む」「書く」といった文字を持たない無文字社会で生きるアボリジニの人々にとって、絵を描くということは決して芸術のためではなく、ビジュアルな言語として(視覚で記憶する文字に代わる記号のようなもの)これまで何千世代にも渡って伝承されてきた文化・歴史・ライフストーリーそのものなのである。