“願うことは行うこと”というのが、私の日常のモットーである。

日本でアボリジニアートを啓発し、自分自身が魅了された深遠なる5万年ものアボリジニ文化や歴史、そして彼らのユニークな芸術を一人でも多くの方々にご紹介したい…。そんなことをずーーっと思い続けて、いやはやもうどれぐらいになるのだろうか。

この飽きっぽいオレ様が、これまで実に13年間もの時間をかけて、せっせせっせと日本市場に種まき作業をしてきているわけであるが、その活動の一環としてアボリジニの画家を来日させる、いわばプロモーション作業も大事な仕事の一つであると確信している。

このたび、日本の友人夫妻が新しくアボリジニアートギャラリーとカフェを併設した「チャンガラ・カフェ」を5月にオープンした。そのめでたいオープニングイベントに、ぜひともアボリジニのアーティストを連れて来てもらいたい、との声がかかったのが昨年の話。

普段、砂漠の奥地で暮らすアボリジニをはるばる来日させることは、事前準備が何よりも重要であることゆえ、まずは日本がどんなところなのかを、本人はもとより家族全員に細かく写真を見せながら説明。

承諾を得てから、今度はすかさずパスポートを申請(なかには出生届が出されていない、つまり生年月日が定かではないアボリジニだっておりますのよ)。そのほか彼らの不安事項を取り除く作業が、これまたいっぱいなのである。

そういいながらもあの手この手のインチキ大作戦をいつも開始するのは、なかなか楽しかったりする。

これまでにも、アボリジニの画家を幾度か来日させた経験はあるが、毎度毎度それはそれは違うドラマが展開されるわけで、感動の涙・涙で幕を閉じることもあれば、仮病を使われて途中で逃げられたことだってある。

今回、日本行きへのご指名があったのは、リネットとオードリー。若手で今人気上昇中の女性画家達だ。まだご記憶に新しい読者の方がいるかもしれないが、リネットは2003年に一度すでに来日をしている。

そのときの滞在があまりにも楽しかったらしく、彼女はそれ以来、オレ様の顔を見るたびに「ジャパン。ジャパン。アゲイン。アゲイン。(日本、日本、もう一度、もう一度)」とひたすらアプローチ。一度、オオトカゲの差し入れをしてもらったことだってある。ワイロに弱いオレ様は即座にOKしたものだ。

もう一人は普段おとなしめのオードリー。もちろん彼女にとっては生まれて初めてのニッポンである。出発直前まで不安気な様子を見せてはいたが…。

さて。この二人の日本滞在記。今回はどんなドラマを展開したか、以下日記式にご紹介したいと思う。

5月1日

成田空港。午後8時到着予定。どうか税関で捕まっていませんようにと、一足先に日本にいたオレ様は出口でドキドキハラハラ(以前その経験あり。2時間延々と別室で取り調べ)。ゴールデンウイークで子どもの日ということもあり、鯉のぼりの旗でお出迎え。ようこそニッポンへ!!!

5月2日

到着後の翌日に早速東京見物を。日本に来たらやはり神社仏閣だろうと浅草浅草寺へレッツゴー。だが、彼女達は寺の建造物にはまったく興味なし。それよりも仲見世通りにたくさん並んでいる小物に鋭く目を光らせていた。でもね。頼むから値札も見ずに手当たり次第レジに持っていくのはやめておくれよ(涙)。

浅草寺のあと隅田川クルーズを楽しみながら、今度は「しながわ水族館」へ。ご存知のとおり、彼女達は普段魚とはまったく無縁。なんてったって豪州中央砂漠のど真ん中での暮らしである。雨すら何ヶ月間も降らない、とにかくカラッカラに乾燥した大地なのだ。

そんな彼女達の頭上を優雅に泳ぐ全長1mもあるマンタやウミガメに、リネットもオードリーも興奮を隠しきれない。そこはなんと水中トンネルだったのだ。

「日本人は魚をたくさん食べるんだよ」と、オレ様が水中の魚達を指差して言っても、「このオンナ、何を馬鹿なこと言ってんだ?」といった不思議な表情をするオードリー。彼女にとって、どうやら魚が食べ物だという概念は少しもないらしい。

夕食は無難なところでチャイニーズへ。ここでは割り箸の初体験で最初は楽しそうに試していたが、そのうち面倒臭くなったようであとは全部手づかみになった。個室だったのでやりたい放題、ちっとも問題なかったわい。

5月3日

「チャンガラ・カフェ」はアボリジニアートギャラリー。リネットとオードリーはそこで絵画制作のデモンストレーションを行い、観客を大いに沸かせた。

長年アボリジニアートに関わっているオレ様であっても、こうしたナマでの制作現場は居住区へ行かない限り、滅多にご披露いただくことはないゆえ、彼女達はまるで芸能人の記者会見のように、あっちからもこっちからもカメラのフラッシュが飛びかうほどの人気であった。

しかしながら滞在3日目にして、やはり出発前から不安そうだったオードリーのほうが少しホームシック気味になる。「どうしたの?大丈夫?」とオレ様が様子をうかがうと、「村に残してきた子どもが心配。声が聞きたいから、今電話をさせろ」と横目でジロリと見るではないか。

アボリジニ村にはたった1台の公衆電話があるだけだ。もちろん携帯なんて通じる場所ではないから、誰も持っているわけはない。

つまりオレ様の日本の携帯電話から、その公衆電話にまず電話をして、そこをたまたま通りかかった通行人Aがたまたま受話器を取り、「ぱりゃ?」だとか「ゆーあ?」だとか自分達の言語でまずは応じるわけだ。

が、そこでたとえばオードリーが自分の子どもと話がしたいと言った場合、その通行人Aは「よし。今お前んちに行って子どもを呼んでくるからな」とその受話器を公衆電話機の上に置いたまま、ゆっくり歩いてオードリーの家まで向かい「お母ちゃんから電話だよ」という旨、普通は伝えるのが当然であるのだが、通行人A ときたら、その間にふらりとスーパーへ行ってアイスクリームを買ったり、途中で誰かと立ち話をしたりする場合があるので、いったいいつになったら子どもが公衆電話のところまで来れるのかさっぱりわかりゃしない。

冗談のような話だがこれは実話というところがこれまたオモシロイ。…なあんて楽しんでいる場合ではない。

なんたってオレ様の携帯電話から、7000Kmも離れた海のあっちへ電話しているんだからね。アボリジニ村へかけるときはいつも「どうか話中でありますように」と、一人小声で小さくつぶやくオレ様のいじらしさを、少しはご理解いただきたいがいかがだろう。

結局、子どもが不在だったため話ができなかったが、何やら自分の親族の一人がたまたまそのときの通行人Aだったらしく、オードリーはとてもシアワセな顔でしばらくおしゃべりに花を咲かせていた。

今度はオレ様が時計を気にしながら、横目でジロリとにらんでみたが、彼女はそれにも気づかないほど夢中で楽しそうに話をしていたっけ。

夕食後は、リネットの白髪染め実施。まずは一緒に薬局へ行き、好きな色を選ばせたら、いきなり棚から「金髪色」を取り出したので、「いくらなんでもこりゃすごすぎないかい?」と彼女をなだめて穏やかなダークブラウンに取り替えた。敏腕コーディネーター、あれこれとアレンジに余念がない。

そんなこんなでまだまだ続く、リネットとオードリーの日本滞在秘話、次号も盛りだくさんでお届けします。どうぞお楽しみに。