あっという間に迎えた2009年。毎年毎年、この「あっという間」という言葉を間違いなく繰り返しているオレ様だが、ほんとに一年は365日もあるのだろうかと疑いたくなる程、瞬く間に過ぎ去っていく日々。
しかし、年々おもしろい程に深く刻まれる目じりのシワや、二の腕のふにゃふにゃ感等は、紛れもなく加齢を表しているじゃないかと妙に納得。そう、確実に、しかも恐ろしい程早く、時間は経過しているのである。おまけに最近、目までかすんできたオレ様は、周りから容赦なく「もう若くはないんだからね。無理は利かないよ」と言われるのだが、そんな時こそオレ様は、砂漠へひとっ飛びするのである。

なんてったってアボリジニ社会では、オレ様はいつだって子供扱いされるし(なんのことはありません。ただ他のアボリジニの女性達のように、お乳が垂れ下がっていないからという理由だけです)、時には『いい子、いい子』と言わんばかりに、長老から頭をなでられることだってあるのだから。
42歳になるオレ様に『いい子、いい子はないだろが』と一瞬抵抗を感じたりもするが、いやはや…これがまた、エラく心地よかったりするから不思議である。
そう、人間いくつになっても『甘えたい』という欲求は、誰もが素直に抱くものなのであろう。
それにしても長老様。オレ様の頭をなでてくれるのはいいが、何も、ついさっき、カンガルー丸ごとナマで食べた後の、その油ぎったベトベトの血だらけの手で『いい子いい子』してくれなくてもよかろうが。

さて、そんなことより、今年最初の話題は一体何にしようかと、あれこれしばし頭を悩ませた。
そこで、先日豪州国内で一斉に公開された、今一番タイムリーで話題の映画「オーストラリア」について、少し話をさせていただきたい。…といってもオレ様、最近メルボルンを離れていたので、実はまだこの映画を観ておらず、そんなオレ様に、一体何がコメントできますかと、周りはきっと不信感を抱くでしょうが、まあまあそんなカタイことはおっしゃらず、これから映画をご覧になる皆様への、ほんの少しの参考にでもなればと、おせっかいばばあのひとり言だと思って、どうか黙って読んでおくんなさい。……って、ここまで読む間に、もうすでに疲れちゃいましたとおっしゃる貴方様。ちゃんと読んでくださいませってば。決して後悔はさせませんよぉおぉおお。

この映画は、バズ・ラーマン監督が、広大なオーストラリアのアウトバックを舞台に、長い間練りに練った構想の元にできあがった、スケールのでっかい超大作だ。
簡単に言ってしまえば、英国貴族の女性である主演のニコール・キッドマンと、全く反対の世界に身を置く荒々しい牛追い人、ヒュー・ジャックマンが、過酷な土地を9000キロも進む旅に出掛ける道中で、様々な体験をしながら、お互いの心をつないでいくというアドベンチャーラブストーリーなのだが、ここで何よりも重要な部分を占めているのが、先住民アボリジニの人々の存在なのである。

監督いわく、出演者の俳優達は全員オーストラリア人にしたという。それぞれのキャスティングには、大分頭を悩ませたらしいが、その中でも一番困難だったのは、混血児の子役を演じる「ナラ」を見つけることだったらしい。
全く演技の経験がない素人の幼い少年を、しかも1000人もの中から選び抜く為に、監督は自らあちこちのアボリジニの居住区へ赴き、そこで長い期間、彼等と寝食を共にして、見事子役の「ナラ」を獲得したのだ。これはオレ様の経験から言っても、まさにマジック的なプロセスである。お見事としか言いようがない。心の中で「降参! まいりました」と3000回ぐらい唱えたい、そんな心境だ。
何しろ、特定のアボリジニの人々と長く一緒にいるということは、まずは彼等に自分が「怪しいヤツではない」という確信を持ってもらわねばならない。これはどの社会でも一緒。誰も好き好んで見知らぬ怪しい人間を、自分の身近に置きたいわけがないからね。
ただ、アボリジニの人々は、我々以上に特に警戒心が強い為、お互いの信頼関係を結ぶまでには、想像以上に時間がかかるというわけだ(ちなみにオレ様、自由に居住区へ出入りできるようになるまで5年はかかった)。
おまけに普段都会で暮らしていない少年を、1年以上もの長い間、撮影スケジュールで拘束し、場面ごとのセリフを学ばせ、いかにして、この映画全体での重要人物的存在に位置付けするか…。

もう一つおまけに言わせてもらえば、今回の撮影現場となったノーザンテリトリーの大地には、もちろんアボリジニが所有する土地も随分あったであろう。何よりも大地との精神的・肉体的なつながりを大切に考えるアボリジニの人々から、その撮影の許可をもらうことが、どれだけの忍耐と努力を必要としたことか、想像するだけで鳥肌もの。
それもそのはず。オレ様自身も、以前何度か日本のメディア(テレビ関係者)を撮影の為にアボリジニ村へ連れて行った経験があり、撮影許可がそうそう容易に取れるものではないということを、嫌という程、味わったからだ。
オレ様には、全く見えるはずのない大地の境界線のようなものを、彼等は指差しながら「ここからここまでは自分達のカントリーだから撮影OK。でも、あっち側は他の人のものだから絶対NO」というように。そのきわどい境界線ギリギリのところを、少しでもはみ出してカメラに収めようものなら、彼等は途端にご機嫌を損ねて、直ぐさま「撮影中止」と言いかねない。
異なる文化と価値観で暮らすアボリジニの人々に、日本人の想いを理解してもらう為に、オレ様は何度も現地でウソ泣きをして、彼等の同情を乞うたものだ。時々声を荒げて泣いてみると、効果もそれなりに高いということも学んだ。あのオレ様のウソ泣き演技こそが、ニコール・キッドマンをしのぐ名演技だと思ったものだが、最後はただの泣き虫野朗と言われただけなのが、なんとも悔やまれる。ちなみに撮影は成功し、空撮までやっちゃった。

それにしてもこの映画『オーストラリア』が完成するまでには、並外れた舞台設定と相当なスケールでの撮影技術、そして2000着以上の衣装が用いられたという、とてつもない大事業であったことは間違いないのだ。なんでまだ映画を観ていないオレ様がこんなことを言い出すのか、諸君はきっと不思議だろうが、この際そんなことはどうでもよい。いいといったらいいのだ。
美しい英国貴族のニコール・キッドマンが、オーストラリア大陸に渡ってきたことによって発見する、今まで気付くことのなかった本当の自分。そこで関わる先住民アボリジニの人々の自然と共生した暮らしぶり。そして、これまで誰もまだ見たことがなかったに違いない、とんでもなく美しいアウトバックの景色。
訪れた誰もを、素のままの自分に戻してくれるオーストラリアの赤い大地に、2009年もオレ様はせっせと通うことになるだろう。“素のままの自分”をもっともっと探し出す為にね。
そしたらアッという間に腹黒い自分を発見しちゃって、そんな自分に結構ショックを覚えたりしちゃうかも(笑)。ま、それはそれでいいのかもしれないが。

とにかく、しつこいようだが 、この映画を実際に観ていないオレ様が、こまでお勧めするんだから、間違いない。素晴らしい作品に乾杯。

そして最後になりましたが、2009年が皆様にとりまして輝かしい一年でありますように。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。