またまたアボリジニ村へ行ってきた。今回はいつもより少し長い滞在となった。これといった娯楽施設があるわけでもないアボリジニ居住区で、オレ様が一体何をして毎日を過ごしているか、皆様、ちょいと、ご興味ありませんかね?

まあ、そんなもん関係ねーやと言われれば、それまでではありますが、それでも勝手に書き綴らせていただきまする。中年オンナは人の話を聞かなくなるというのは、どうやら本当のようだ。アボリジニ居住区では、いつ誰とどれぐらいの期間滞在するかによって、毎回することが異なるのであるが、今回はたった1人で(最近はほとんどそうであるが)訪問したため、何の制約も責任もなく、やりたいことをやりたいときにやりたいだけ自由にできた、実に快適な毎日だった。

さて、そんなことは言ってもだ。好きな洋服が買えるショッピングセンターや、とびきりおいしいカクテルを出してくれるお洒落なバーがあるわけでもない、ましてや携帯もインターネットも繋がらない場所でオレ様が「やりたいこと」って一体なんだ?

たいてい、アボリジニ村滞在中のオレ様は、腕時計をはずしている。別に重要なアポイントがあるわけでもないので、時計の必要性はほぼ皆無だからだ。それどころか、日頃、「時間」に縛られているオレ様には、時計なしの生活は、このうえない解放である。
アボリジニのおばちゃん達と狩りへ行く時だって、「いつ行こうか?」というオレ様からの問い掛けに、せいぜい「モーニングタァァァイム(午前中)」とか「アフタヌゥゥゥゥゥゥゥゥーン(午後)」の返答が返ってくるだけだ。
「モーニングタイム」と言われても、それが午前8時なのか11時20分なのかは、誰も問わない。それゆえ、おいていかれちゃぁ、さあ大変! とオレ様、出発は今か今かと、彼等の様子を始終探っている。電信柱の影からじーーーっと、しかも何気なく張り込むオレ様。その姿は、まるで日本の写真週刊誌のカメラマンのようだ。

そう、だからアボリジニ村では、時間によって自分の行動が制約されることはまずない。
はじめのうちは、そんな生活に大きな戸惑いを覚えたオレ様だったが、それも段々と慣れてくるもので、慣れてくるどころか、快感にさえなってくるのだから不思議なものだ。そういえば一度、こんなことがあった・・・。
日本の知人が、どうしてもアボリジニ居住区で、しばらく生活したいというので、一緒に連れていったところ、「さあ、もう12時だからお昼ご飯にしましょう」と言うので、「お腹が空いたんですか?」とオレ様は何気なく聞いてみた。すると「いや、特に。でも我々の職場では、いつも12時がメシ時なんでね・・・」と、だから今日も当然そうしなければならないんですよ、みたいな空気をいっぱいかもし出しながら、その知人は言った。

ほほぉ~。人間の習慣というのは怖いものである。こうして日常のルーティーンで、無意識に「やらねば」という観念に捉われてしまうんだからね。しかしながら、ここは真っ赤な大地とうっそうたる木々があっちにもこっちにもあって、360度地平線が見事に見渡せる、オーストラリアの砂漠の、ど真ん中なのである。野営便所で用を足すのである。うっかりするとヘビにおしりをがぶりとやられるところなのである!!!
だからこそ「ここではいつも習慣でやっていることを思い切って全部無視してみませんか。頭で考えるのは、この際やめてみましょうよ。“こころ”と“からだ”がありのまま欲することに従って自然にいきましょう。大丈夫。大丈夫。おもしろいじゃないですか。チャレンジですよ! チャレンジ」と、何だか深層心理カウンセラーになったかのような、オレ様の発言に、友人はやや怪訝そうな顔をしながらも何とか賛同した。

まぁ、時間の概念も習慣も、このアボリジニ居住区では、これまで自分が抱いていた勝手な「定義」がおもしろいように崩れるのだが、それを自分がいかに楽しめるかどうかが、そこでの滞在充実度を大きく左右するのだと、オレ様は10年以上この居住区に通って痛感している。これ、絶対ほんと。
だから、アボリジ二居住区では物質的な遊び道具がなくてもこうして「自分の価値観ギャフン度」なんていう、いい加減なテーマを作って、毎日それはそれは楽しく過ごせるのである。

そもそも価値観というのは、幼少の頃からの自分を取り巻く環境に、とても大きく影響されるとオレ様は思っているが、このアボリジニ居住区で暮らすチビッコ達と一緒に遊んでいると、実に彼等の心が透明だということに気付かされる。とびきり丸くて大きな瞳で、じぃーーっと見つめられると、オレ様はもうメロメロになっちまうのだ。彼等の価値観は、今後どのように培われていくのだろうか。
「おい。ナカマラ(オレ様のスキンネーム)! おまえ、ジャンプできるか?」と尋ねられれば、「はい。はい。何度でも」と言われるままにピョンピョン跳ね続けるオレ様。それにしてもなぜジャンプなのだろう…? いやここではそんなムズカシイ理由を追求するのは邪道だ。だからオレ様はピョン、ピョンとひたすらジャンプを続行した。

思い起こせば以前、オレ様はイモムシ狩りの途中、熱射病で干し上がって、熱でしばらく動けなくなり、ウンウンうなされたことがあった。その時、アボリジニ村中の子供達が次々とお見舞いに来てくれて、口々に「ナカマラ、大丈夫か。苦しいか?」、「何か欲しいものはあるか?」、「もうこの村が嫌いか? 帰っちゃうのか?」と言いながら、とても心配してくれた。中には、緑色をしたアリを「これを食べれば良くなる」と、見舞に届けてくれた子もいた。オレ様、今まで赤い色をした蜜アリは食べたことはあったが、緑色のアリはまだ一度も口にしたことがない。どう見ても栄養があるとは思えない。かなり躊躇した。ひとつつまんで(その時点では、まだアリ様は生きていらっしゃった)、とりあえず口元まで持っていってみたが、やっぱりダメだと断念し、オレ様はしばらく死んだフリをした。咄嗟に考え付くことが「死んだフリ」だとは、何と乏しい発想なのだろうと自分でも呆れ返ったが、緑色のアリを食べるよりはまだいいだろうと一生懸命死人になり切った。

そんなこんなで、アボリジニ村での楽しい過ごし方は、実にたくさんあるということをご理解いただきたい。

現状に満足を覚えられず、何か新しいものを模索したくて、うずうずしている皆様よ!
たとえあっちこっちへと遠回りをしてもかまいませぬ。まずは「何か」新しいことをやって、思いっきり「ギャフン」と言ってみようではないか。そうすれば、そこから必ず、新たな発見があるはずだからね。

何はさておき緑色のアリを食べたことのある方、お便りください。お待ちしております。