Collection: tokyo2026

  • 私の祖母の故郷

    私の祖母の故郷

    1963年に、オーストラリア北部・ダーウィンにて生まれる。豪州アボリジナルアート界での巨匠および国内外において著名な画家であるバーバラ・ウィアを実の母に持つ作者は、幼いころから常に母親の傍で絵画制作に見入っていたという。そしてあるとき母親から突然キャンバスを手渡されたのを機に自ら絵を描き始めたそうだ。

    2008年、東京新国立美術館で開催されたエミリー・ウングワレ―展の開会式出席のため母親バーバラと一緒に初来日。1週間の日本滞在を大いに満喫した。

    2024年には2度目の来日を果たし、東京展示会場ではライブペインティングを披露。観客たちを沸かせ、大人気であった。

    近年、オーストラリアの首都キャンベラにある王立植物園広場の石畳モザイクに作者のデザインが使用されたことで大きな話題となっている。

  • マイカントリー

    マイカントリー

    作者は1953年生まれ、ユトーピアの女性画家として1990年代後半から絵画制作に励んできた。アーティストとしてのキャリアは比較的長いベテラン作家の1人である。

    細やかな点描は乾燥した砂漠地帯にようやく雨が降ったあと色とりどりの草花が咲き乱れそこにブッシュプラムが生息する様子を描いている。
    (注:ブッシュプラム → 乾燥したオーストラリアの中央砂漠でアボリジニたちの大切な食料源となる果物の実。ビタミンCを非常に多く含む。)

    細やかなドット手法が人気でありもはやコレクターが数多く存在する。作者が絵画を描くということは大地と自分が常に関わり合っていることを確認することの表現。
    これははるか太古から祖先(精霊)によって伝承されてきたメッセージを大切に守り続けるための重要な儀式を行っているのと同じだと作者自身は誇らしげにいう。

    コレクション:National Gallery of Victoria

  • ブッシュプラムドリーミング

    ブッシュプラムドリーミング

    1980生まれの若手作家、絵画制作を始めてまだ日は浅いものの勢力的なプロモーションにより年々人気が高まっている。

    アボリジニの人々にとって広大な大地はこの世に命を持つあらゆるものを生み出してくれた偉大なる母であり、また死後には自分たちの肉体と魂が再び戻っていくことから精神的な強いつながりを持つ特別な場所であると語られている。

    世界で最も水の乏しい乾燥した大地だといわれるオーストラリアの中央砂漠。そこで採れる野生の果物(ブッシュプラム)をモチーフにしたこの作品は、はるか太古から大地とともに暮らしてきた先住民アボリジニの人々にとってとても重要な情報でもあり、それは許された者だけに公開されるものだという。

    大地の隅々まで熟知している作者にとって、大地からもたされる「恵みの食べ物」をモチーフに描く作品はまさに作者が“母なる大地に抱かれている”感覚なのではないだろうか。

  • マイカントリー

    マイカントリー

    この作品は作者の出身地であるオーストラリア中央砂漠のキントー・コミュニティ地域全域の物語について現している。

    作者は遥か昔、自分たちの祖先が訪れた水場やそこをたどった道筋などを独自の技法・テクニックで巧みにキャンバスへ表しており通常その行程をアボリジニの人々は“ソングライン”や“ドリーミング”と呼んでいる。

    ドリーミングというアボリジニ特有の概念は実に多種多様な解説がありいまだに確実には定義づけされていないが、遥か何万年もの太古から彼らが大切に守って伝承し続けてきた概念・哲学はアウトサイダーたちには到底理解できないことは確かだ。

    5万年とも6万年とも言われる太古からアボリジニの人々がずっと継承し続けているもの、それは人間がいかに大地と共存して生きていくべきかという我々現代文明人がもはや忘れかけているもっとも重要な教えなのではないか。

  • 私の祖母の故郷

    私の祖母の故郷

    1963年に、オーストラリア北部・ダーウィンにて生まれる。豪州アボリジナルアート界での巨匠および国内外において著名な画家であるバーバラ・ウィアを実の母に持つ作者は、幼いころから常に母親の傍で絵画制作に見入っていたという。そしてあるとき母親から突然キャンバスを手渡されたのを機に自ら絵を描き始めたそうだ。

    2008年、東京新国立美術館で開催されたエミリー・ウングワレ―展の開会式出席のため母親バーバラと一緒に初来日。1週間の日本滞在を大いに満喫した。

    2023年には2度目の来日を果たし、東京展示会場ではライブペインティングを披露。観客たちを沸かせ、大人気であった。

    近年、オーストラリアの首都キャンベラにある王立植物園広場の石畳モザイクに作者のデザインが使用されたことで大きな話題となっている。

  • 私の祖母の故郷

    私の祖母の故郷

    1963年に、オーストラリア北部・ダーウィンにて生まれる。豪州アボリジナルアート界での巨匠および国内外において著名な画家であるバーバラ・ウィアを実の母に持つ作者は、幼いころから常に母親の傍で絵画制作に見入っていたという。そしてあるとき母親から突然キャンバスを手渡されたのを機に自ら絵を描き始めたそうだ。

    2008年、東京新国立美術館で開催されたエミリー・ウングワレ―展の開会式出席のため母親バーバラと一緒に初来日。1週間の日本滞在を大いに満喫した。

    2023年には2度目の来日を果たし、東京展示会場ではライブペインティングを披露。観客たちを沸かせ、大人気であった。

    近年、オーストラリアの首都キャンベラにある王立植物園広場の石畳モザイクに作者のデザインが使用されたことで大きな話題となっている。

  • 私の祖母の故郷

    私の祖母の故郷

    1963年に、オーストラリア北部・ダーウィンにて生まれる。豪州アボリジナルアート界での巨匠および国内外において著名な画家であるバーバラ・ウィアを実の母に持つ作者は、幼いころから常に母親の傍で絵画制作に見入っていたという。そしてあるとき母親から突然キャンバスを手渡されたのを機に自ら絵を描き始めたそうだ。

    2008年、東京新国立美術館で開催されたエミリー・ウングワレ―展の開会式出席のため母親バーバラと一緒に初来日。1週間の日本滞在を大いに満喫した。

    2023年には2度目の来日を果たし、東京展示会場ではライブペインティングを披露。観客たちを沸かせ、大人気であった。

    近年、オーストラリアの首都キャンベラにある王立植物園広場の石畳モザイクに作者のデザインが使用されたことで大きな話題となっている。

  • グラスシード・ドリーミング

    グラスシード・ドリーミング

    1945年ごろに生まれる。

    アボリジニの人々にとって広大なオーストラリアの大地は自らを創り出してくれた偉大なる「母」。
    作者はアボリジニの母親とアイルランド人の父親を持つ混血児であったことから1950年代、オーストラリア政府の親子隔離政策(Stolen Generation)により、幼い頃に(当時9歳)母親から強制的に引き離されて「オーストラリア白人社会」への順応を余儀なく要求された体験者である。そのため家族の待つ自分の故郷へ一刻も早く戻りたいと日々願っていたという。

    故郷をあとにしてからおよそ20年の歳月が過ぎた頃、作者の念願がやっと叶い自分の生まれ育ったカントリーへ再び戻ることとなった。この作品には自分とカントリーのコネクションを再確認できた大きな喜び、そして長い年月を経ても快く受け入れてくれた家族への深い感謝の気持ちが込められている。

    いまや世界中にコレクターが存在する著名画家として瞬く間に名声を上げた作者は日本のメディアにもこれまで多数出演をしている。

    大の親日家でもある作者のこれまでの来日経験は5回。2028年には大阪国立国際美術館・東京国立新美術館で大々的に開催された「アボリジニが生んだ天才画家・エミリー・ウングワレー展」において、故エミリー・ウングワレ―とは生前誰よりも近しい親族のひとりだったことからオフィシャルゲストとして日本へ招かれた。

    2023年。家族の見守る中アデレード病院にて逝去。

  • グラスシード・ドリーミング

    グラスシード・ドリーミング

    1945年ごろに生まれる。

    アボリジニの人々にとって広大なオーストラリアの大地は自らを創り出してくれた偉大なる「母」。
    作者はアボリジニの母親とアイルランド人の父親を持つ混血児であったことから1950年代、オーストラリア政府の親子隔離政策(Stolen Generation)により、幼い頃に(当時9歳)母親から強制的に引き離されて「オーストラリア白人社会」への順応を余儀なく要求された体験者である。そのため家族の待つ自分の故郷へ一刻も早く戻りたいと日々願っていたという。

    故郷をあとにしてからおよそ20年の歳月が過ぎた頃、作者の念願がやっと叶い自分の生まれ育ったカントリーへ再び戻ることとなった。この作品には自分とカントリーのコネクションを再確認できた大きな喜び、そして長い年月を経ても快く受け入れてくれた家族への深い感謝の気持ちが込められている。

    いまや世界中にコレクターが存在する著名画家として瞬く間に名声を上げた作者は日本のメディアにもこれまで多数出演をしている。

    大の親日家でもある作者のこれまでの来日経験は5回。2028年には大阪国立国際美術館・東京国立新美術館で大々的に開催された「アボリジニが生んだ天才画家・エミリー・ウングワレー展」において、故エミリー・ウングワレ―とは生前誰よりも近しい親族のひとりだったことからオフィシャルゲストとして日本へ招かれた。

    2023年。家族の見守る中アデレード病院にて逝去。