瞬く間に訪れてきてしまった2004年12月。ああ、これでまた今年もあっという間に終わっちゃうのよねえ…。これといった特に大きな達成感もなく毎日ドタバタするばかりで、今年はそれこそただ何とな~く忙しいだけで過ごしてしまったという反省が、この豊満な胸を痛める。

今年は日本への一時帰国がざっと3回。その間、私の職場でもある豪州大陸中央砂漠・アボリジニ村居住区へせっせと赴くこと4回。もちろん行けばその現地にしばらく滞在をするわけだから、よく考えてみればあまりメルボルンでは落ち着いて生活していないということになる。常にあっちこっちと飛び回っているこんな生活じゃあ、素敵なトノガタとゆっくり愛を育む時間なんてまるでないのは当然さ。

そもそもこんなに毎日慌しく動き回らなければならぬようになったのも、5年前に独立をしてフリーランスとなってからだ。まあ、組織を離れてからは誰にも拘束をされることなく自分の時間が大いに自由になったものの“明日食うカネ、自分で作れ”という厳しい現実は、時折なんともいえない焦燥感に駆られることもしばしば。何たって会社勤めをしていたころは“給料っつーものは銀行に毎月自動的に振り込まれるもの”と、そう信じて疑わなかったのだから。

それが会社を辞めた途端、いくら首を長くして待っていてもオレ様の銀行口座に大金をじゃんじゃか振り込んでくれる人間は一人もいないではないか。それゆえ朝から晩までパソコンにらめながら“仕事につながりそうなもの”をリサーチし、せっせと企画書作ってあっちこっちにEメールで投げかけて自分を売り込む…。

そんなオレ様をまるでどこかから見ていたかのように、ある日アボリジニのドキュメンタリー映像を制作するにあたって、そのコーディネーターをやっておくれという指令がシドニーから舞い込んできた。うおぉぉーー。仕事だぁぁぁ~~~! もちろん二つ返事で承諾したことはいうまでもない。

撮影の主旨は前号でも少し紹介をした記憶があるが、京都大学のある名誉教授がアボリジニの現在の生活習慣病に着目をされ、その原因と健康改善について長年に渡ってご研究されているというドキュメンタリー番組を学会用に制作するものであった。

ドキュメンタリー映像というのはあくまでも「事実」を伝えるもの。しかも撮影期間が15日間と限定されている。それに一概に“アボリジニ”を撮影するといったって、都市で暮らす西洋化した人々と、未だ砂漠の辺境地帯で狩りを行って暮らしている人たちなど、かなり多様化しているということを果たして撮影隊の皆様はどこまでご存知なのだろうか。

さあ、そこでこの敏腕インチキコーディネーターのオレ様が、ここぞとばかりにあれこれと得意のウンチクを披露して彼らを一気にアボリジニワールドへと引っ張り込んだのである。

「砂漠ですかぁ。面白そうですね。一体どんなところなのかなあ。何といってもドキュメンタリーは「事実」を伝えなくてはなりませんからねぇ…。つまり現場へ直接足を踏み入れて、実際にそこで何が行われているのかをキャッチするんですよ。内田さん!」と、鼻の穴を大きく広げてそう主張するシニアディレクターS氏。

「現場って、実際にアボリジニ村へこれから行くって事ですか? Sさん、そこがこのメルボルンからどれほど遠いところなのかをあなたはご存知なんですか。行くにあたっては政府からの滞在許可だって必要ですし、それにこれからすぐに航空券やレンタカーを手配するのはかなり難しいですよ。そういったリクエストはもっと事前におっしゃっていただかないと…」と、さすがの敏腕インチキコーディネーターであるオレ様も相当困った顔をして見せた。

そして、今すぐ自分が魔法使いになりたいと心からそう願ったものだった。魔法を使えば、誰のどんな願いだってちゃんと叶えてあげられるのに。

『魔法使い』と辞書で引こうとしたら、間違って『魔女』と引いてしまった。そしたらそこには「悪魔のように性悪な女・また不思議な力を持った女」と解説されていた。どちらの解説も微妙にこのオレ様に合っているではないか。よし、こうなったら快く魔女となってみんなをハッピーにしてやろう。

そうやって魔女となったオレ様は、あたかも本当に魔法を使ったかのようにテキパキと迅速な手配をさっさと済ませ、砂漠のアボリジニ村への出発を見事に実現させた。

ホテルなんてまるでないアボリジニ村では友人グラニス宅へ無理を承知で泊めてもらった。泊めてもらってこう言うのも何だが、彼女の家は決して綺麗とは言えず浴室の床はいつもぬるぬる、天井には蜘蛛の巣が張り、冷蔵庫の中には葉っぱがもうヨレヨレになったレタスや緑色のチーズなどがいっぱい詰まっていたりする。

そういえば一度彼女の家でこんな体験もした。真夜中にのどが渇いて一人そうっと台所へ行って冷蔵庫の中の牛乳を飲もうとしたとき…! 電気をつけなかったので何も見えず、コップもどこにあるのかよくわからなかったオレ様は、暗闇の中で牛乳のボトルを振ってみたら丁度一杯分ぐらいの量だと確信。じゃあいいや、面倒くさいからこのまま飲んじゃえ。そう思ってボトルから一気飲みを試み、まずは唇を直接ボトルにくっつけ、空いたもう片方の手はどういうわけか腰に回し、足は肩幅程度に開いて一気にボトルの角度を変えたその瞬間、渇ききった喉ごしに今にも冷たい牛乳が流れ落ちることを想像したオレ様の揺れに揺らいだ心を、まるでまっぷたつに切り裂くかのように流れ落ちてきたのは、まぎれもなくまったりとした濃いヨーグルト状の液体だった。そして鼻に直撃したその悪臭と突然の異常事態に気づいた触覚・味覚・嗅覚・聴覚がフル回転してオレ様に慌てて警笛を鳴らしたようだがもう手遅れ。

ここで腐った牛乳は酸っぱいだけだと思われている読者の皆様へ一言。実はほのかな苦味もあるってこともお知らせしておこうではないか。そして冷蔵庫へはいつも新鮮なものだけを貯蔵しましょうという忠告も。

砂漠での撮影は3日間。当然ながら狩りは絶対にはずせぬアボリジニのライフスタイルなので一緒に付いて行く。生まれて初めて見るというイモムシや炎天下でのカンガルーしっぽ丸焼きは撮影隊を大いに興奮させたようだった。

「やっぱ、これが現場なんっすよ! 最高っすよ! さすが内田さん。内田さんがいなかったらここまでボクら、来れなかったですからね」。そんなおだてにめっぽう弱い魔女のオレ様はまた調子に乗って次の魔法をあれこれ考えたものだった。

こうして無事にアボリジニ村での撮影を終えた我々だが、再びメルボルンへ戻ってからはオレ様の魔法が追いつかないほど超ハードなスケジュールの毎日で、15日間での走行距離はざっと3000キロなり。もちろん運転手はずっとこのオレ様さ。

しかしこの撮影期間中に出逢った様々な人たちとのあったかいふれあいは、魔法なんてちっとも必要ないほどごく自然にみんなを笑顔にした。

なんだかんだと文句言いながら、今年もどっぷりと“アボリジニ漬け”であったこの一年。何を“しあわせ”だと定義づけるのかは自分のこころ次第。来年も堂々と“あるがままの自分”でいようではないか!

皆様、2004年もお世話になりありがとうございました。この紙面をお借りして心より御礼を申し上げます。