さて、今回は「私の仕事」について少しお話をしてみようと思うのだが、いかがであろうか。

というのも最近とても頻繁に人様から同じことを尋ねられる機会があって、それが決まってどれも同じ内容であるからこちらもややビックリ…。つい先日も会ってまだ2~3度目の女性からこう問われた。「あのー。私いつも不思議に思ってるんですけど、内田さんって一体何をやって食べてっているんですか。年がら年中メルボルンを留守にして砂漠のアボリジニ村に行っているようだし、そうかと思えば家から一歩も出ないで居留守使って何かやってるみたいだし。《←アンタが何でそんなこと知ってんねん!?》 内田さんってなんかーー、自由人っていうかただの怪しい人っていうかーー、よく分からない人であることは確かですよねーー」と。

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よくもまあ、まだそんなに知らない私のことを”怪しいヤツ”だなんて、このオンナは大胆に言えたもんだと感心すら覚えたが、私がどうやって日々の収入を得ているのかそんなに気にしてくださるのであれば、遠慮せずにお手当てとかくれちゃっていいのよーーと真剣に訴えてみたい。

そもそも幼少時代、貧乏な家で育った私は「早く自立して自分でお金を稼げるようになりたい」と子供心にずっとそう思って暮らしてきた。

大学を卒業してすぐに日本の企業に入り、たくさんの給料をもらいながらも物理的な忙しさとは別に、どこかで死ぬほど退屈をしている自分がいるのに気づき始めたのが26歳。自分をうまくだましだまし目をそらせてはみたけれど、それがだんだんにごまかしにくくなって会社を辞めたどころか、日本まで脱出したくなって瞬く間に自分にGOサインを出し、海外へと旅立った。外国での生活にマニュアルなんてあるわけないから、毎日が新しいことの連続でおしっこちびる体験なんてしょっちゅうだった。 余談であるが、私の友人はおしっこでなくてウ○コをもらしたという話も聴いた。小学生じゃあるまいし、いい年した大人が外国で何でウ○コをもらすのか不思議だったので無理矢理その理由を聞いたところ、何やら初めて招かれた外国人のホームパーティーで、あまりの緊張のせいか急にお腹がギュルギュル鳴り出し「エックス、キューーーーズミィーー」といってトイレへ駆け込んだが間に合わず(…というかなかなか英語で「トイレ貸して」と言い出せなくて大分我慢をしていたらしい)、便器の上に腰を下ろさないうちに盛大なるオナラの音とともに「ブボベビバーーーーー!!!!」と肛門が決壊してしまったらしい。そのときは悲しい運命だったともはや諦めるしかなかったようだが、彼は(おっ!ここでその友人が男性だとバレてしまったぞ)その後もまだ元気にたくましくメルボルンで暮らしている。

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私の仕事に話を戻そう。

私は自称「アボリジニアートコーディネーター」とのたまいながらも実は「自由業」で、つまりは何でも屋であるということをこの際告白しようではありませんか。しかしこれがたまらなく自分にピッタリ合っていて「一生このままでホントにいいのか」と時に不安にはなりながらも、明日には砂漠へ飛んでいって才能あるアボリジニ画家を発掘し作品を買い付け、来月はそれを販売するための企画展を練り画家を来日させ、半年後はどこかの大学で学生たちにアボリジニの講義を行って……なんて直接すぐゼニにはつながらないことを根気強く行う日々。そう、いつかは必ず芽が出るだろうという願いを信じて、ひたすら種まき作業の毎日なのだ。もちろん楽しみながらね。

そうはいっても種ばかりまいていると当然腰も痛くなる。指圧にだって通うし最近少し曲がってきてやしないかと心配して背伸びもしてみる。毎月決まった給料をもらっていた頃からは想像もつかない生活だ。しかし、それらはすべて「自分のやりたいこと」であるということが大きなポイントなのだ。そして紛れもなく「自分の選択」であることもね。やりたいことがわからなかったときは「やりたくないこと」も一応やってみた。……が、やっぱりやりたくないから「自分には向かない」と勝手な理由をつけては日々悶々としていた。

当時、迷いに迷って占い師にまで「私の天職って何でしょう?」なんてみてもらいに行ったが、自分自身やりたいことがわからないくせに他人様にそれがわかるわけがないと、やはりまた悩む。

そんなとき、アボリジニアートが私の人生に登場したときに「これだ!」と直感的に心が叫んだ“あの感覚”は、説明しろと言われても困ってしまうが、それこそ「やってみたい」と素直に思えたことに感謝したい。そしてその気持ちが10年経った今でも、ちっとも変わっていないという奇跡にも。

「やりたいこと」が今一つまだはっきりしない方々。私自身がそうだったように、少しだけ視点を変えて「自分の得意なこと」を考えてみてはいかがだろうか。もちろん「得意なこと」が「やりたいこと」には直接つながらないかもしれないが、求めているものがもしかしたらそこにあるのかもしれませんぞ。

私のようにあっちこっちと遠回りをしながらも、今の危険な自由業を自分自分の責任でやってみちゃうのだって、なかなかダイナミックで楽しいモンだということが開業5年目にしてやっと分かってきた感じ。家のローンだって払えているし、飼い猫たちへのキャットフードも買えているんだから、何だかんだいってちゃんと食べていっているのである。もちろん長い人生の途上では、今後もおしっこちびりながらまだまだ学んでいくことはたくさんあるのは間違いないのだが。

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あ。ところで前述のウ○コ君。便器の上のモノは結局どうなったのか、皆様気になってはいませんか。何やらその家の便器には高級そうなふわふわの毛のついたカバーがかかっていて、ティッシュペーパーで一生懸命拭き取ってもまだシミが残ったために、最後の手段としてカバーを取り外して黙って持って帰るという「変態行為」をしたそうだ。