050501.jpg

4ヶ月ぶりの一時帰国。今、この原稿は東京のホテルの小さな小さな一室で書き上げている。前回は年末のそれはそれは慌しい時期での帰国だったので、今回は春爛漫のポカポカ陽気の中、少しのんびりと桜見物でもしようじゃないか…、と楽しみにして帰ってきたその日に突然予期せぬ大きな地震。成田空港一時閉鎖。震源地は何と我が実家からわずか数キロ先だったというではないか。おまけに朝からの大雨で一気に冬の寒気が戻ってきたとか。気温はたったの7度であった。とほほ。わが愛するニッポン国よ。こんなにも厚く私を出迎えてくれてありがとさんよ。

前号では少し私自身の仕事についてお話をした記憶があるが、今回の日本帰国はまさに私のその活動のメインでもある”種蒔き作業”が主な理由である。”種蒔き作業”というのは、簡単にいえば”たくさんの人に出逢うこと”だと私は確信している。

ということで、この”種蒔き作業”のチャンスが、過日東京で開催されたオーストラリアの大々的なプロモーションイベントへ出席をした際に早速到来したのであった。

050502.jpg

このたびの主催者はオーストラリア政府観光局。そしてイベントの主旨が「ブランド・オーストラリア」の開発といった、これまでとはひと味もふた味も異なるオーストラリアの魅力・価値をたっぷりとアピールしましょう、という新たな発想のもとで開かれた素晴らしいもの。それゆえ各関係者が続々とパークハイアットホテルに足を運んだ。

超高級ホテルパークハイアットと聞いただけで、そこへ向かう私の気分はすでに芸能人。調子に乗っていつもよりちょいとめかし込んで行った私を一体誰が、”つい数ヶ月前までオーストラリアの砂漠のアボリジニ村でイモムシ捕まえて、乳出して儀式で踊って風呂に10日間も入らずにゴミの山で寝たオンナ”だと想像するであろうか。にひひひひ…。まあ、よかろう。怪しい独身オンナは多面の顔を持つものなのだ。

さて、私が到着をしたときに会場には、すでにざっと100人以上は集まっていたであろうか。まずはトイレ、いや…”れでぃーするーむ”へ向かう。口紅がはみ出していないかどうかをチェックして「ヨッシャ!」と気合だか掛け声だかよくわからないトーンで喝を入れてみる。受付でご挨拶を済ませ、念のためにと 100枚カバンに忍ばせてきた名刺の1枚を丁寧に提示して、すぐに会場の中に自分の知っている人がいないかと探したが、とほほ……知人はほとんど見付からず。ついでに真田広之なんかも来ちゃってないかしら、と期待もしてみたが、真田さんの姿なんて……どこにもあるわけない。真田広之なんて名前を出すこと自体、自分の年齢バラしているようなもんだが、この際もうどうでもよい。

まあ、こういったパーティーというのは、会場で知り合いを即座に見つけて声を掛け、一緒に群れていると結構楽なもんだが、私の場合は昔から一匹オオカミ的な要素が大いにあり、不思議と一人でいても疎外感をあまり感じたことがない。したがって今回も一人で会場をうろうろしながら、とびきり美味しそうなビュッフェのメニューをいち早く確認し、食事の時間がきたらまずはあれから手をつけよう……なんて、そんなことを考えたりしたもんだ。そしてまだしつこく真田さんを探す!!

それにしても、さすがパークハイアットホテル。今せっせとこの原稿を書き上げているせま~いオンボロホテルとはわけが違う。見るものすべてが超豪華。

そんなゴージャスな空間に、このたび私のアボリジニアートコレクションの中から3点の絵画が展示された。まことに光栄である。日本でアボリジニアートのオリジナル作品を観てもらうのはまだまだ機会が少ないゆえ、ここぞとばかりにお気に入りの3点をチョイスしたところ、会場に来られた多くのお客様の目を惹いたようだ。

あちらこちらから次々にお声を掛けていただく。よしっ! 今だ。種蒔きだ。今こそ種を片っ端から撒くのだ!!! という脳みそからの指令により、私はカバンに忍ばせていた名刺をまるで手裏剣をばら撒くかのように、逢う人逢う人にお渡しした。おまけに当日黒い上下のツーピースを身にまとっていた私の姿は、まるで忍者そのものだった。

それにしても片手にワイングラスを持ちながら名刺をスマートに取り出し差し出すワザは、是非とも身に付けておきたいものだ。舞い上がり絶頂の私は、名刺入れにここぞとばかりにぎゅうぎゅうに名刺を詰め込んだせいで、最初の1枚目がなかなか取り出せないまま、ただ、ただ、ひきつり笑い。

050503.jpg

ところで読者の皆様は初対面の相手と出逢ったときに、果たしてどんな「自分」を見せますか? 話をする中でちょっとはカッコよく見せたいとか、働いている人はいかにも仕事ができそうに見せたいとか、まあそんな気持ちを少なからず抱いたりはしないだろうか。

正直なところ数年前の私は確実にその手のタイプの一人で自分の心に常に頑丈なよろいをかぶせ、おまけにそのよろいにまでたっぷりと濃厚メーキャップを塗りたくっていた、そんな正体不明の人間だった。しかし今は随分と自分の心をスッピンにすることを覚え(顔のスッピンは犯罪まがいになるのでやらないよーん)、まっすぐにそのままの自分をあるがままに自分らしく表現できるようになったことは、やはり豪州先住民アボリジニたちとの出逢いが強烈な影響であったと信じている。

何たって彼らは自分たちの感情にとても素直で、いつも思いっきり笑って思いっきり怒って思いっきり泣いているまっすぐな人たちなんだもの。何て健康的で人間らしいんだろうとつくづく感心させられるのだ。

そんな話を会場で、アボリジニアートを鑑賞されるお客様に、私は毎度のごとく一人勝手に熱く語りながら自己満足の笑みをにやりと浮かべ、さっきのご馳走を腹一杯いただいて家路へと向かった。

東京新宿の夜のネオンがああ、何と眩しいことよ。これらのチカチカもたまに見るのは楽しいが、私はやはり砂漠のど真ん中で今にもこぼれ落ちてくるような星空を眺めながら、大地に包まれるあの心地よい”感覚”がたまらなく好きだなあ。

私の専門はアボリジニ。歴史も文化も芸術もみんな合わせて「今を生きる現代のアボリジニ」に焦点を当て、彼らと同じ目線から様々な物事を見ていきたいと切に願う。当然口で言うほど簡単なことではないはずだが、今自分ができることからやればいいと思っている。

そんな中で、これまでのカンガルーやエアーズロックというオーストラリアへの既存イメージから大きく視点を変え、今後はもっともっと”アボリジニ”という現在も生きている大事なオーストラリアの文化の一つを私なりにご紹介していこうではないか。