最近、日本のメディアから、非常に多くの問い合わせをいただくオレ様である。

特にテレビ番組制作者たちからのアボリジニに関する質問が後を絶たない。まあ、それほど日本におけるオーストラリア先住民の認知度が高まったことは、このうえない喜びであるが、その反面、まだまだ、きちんとしたアボリジニの人々に関する情報が行き届いていないのも事実なのだ。
いまでこそ便利なEメール。あれやこれやと思い付いたままに、海の向こうの顔も知らない、アボリジニと親交を深めているだろうと思われる怪しい日本人女性(オレ様のことだよ~ん)に、ここぞとばかりに日本から問いたいという気持ちはよくわかる…が、制作者の皆様方よ! せめてメールで問い合わせてくれる前に、もうちぃーーっと、アボリジニのことについてオベンキョウをしてみてくださってはいかがだろうか。

実は先日も、自分は主にドキュメンタリー番組を制作するディレクターと名乗る男性からメールでの問い合わせが来た。何やらアボリジニ居住区での撮影を希望しているとのこと。よしよし…オレ様でよければ、話はいくらでも聞こうじゃないかと、もらったメールを熟読してみたが、どうもいまひとつ意図がつかめない。というか、内容を読んで、オレ様はかなりおったまげてしまったのだ。

何しろそのメールには、アボリジニの人々は未だに裸体で生活をし、食事は狩りが主流で、毎日欠かさず儀式を行っているらしいので、そういう原始人のような暮らしぶりをぜひとも撮影したい…と書かれていたではないか。
オレ様、すかさず返信ボタンを押し、「ディレクター様よ。残念ですが原始人に会いたいのであれば、どうか原始の時代へ行ってくださいませ。いまやオーストラリア先住民アボリジニの人々は、私たちと同じ21世紀を一緒に築いている現代人です。勝手な憶測でアボリジニのイメージを作るのはどうかと思われます」と、先方様の期待にかなり反してしまったことは言うまでもない。ついでに、アボリジニの人々が、街でマクドナルドのハンバーガーを大口開けておいしそうに食べている写真もドカーンと一緒に添付してみた。これってきっと、ディレクター様に強烈な顔面パンチを浴びせてしまったことであろう。

しかし…オレ様、ここでしばし考える。

そうか、そうか。普段アボリジニの人々と全く接触がなければ、彼らが一体、毎日どんな暮らしぶりなのか、わかるわけがないはずだ。

ここでオレ様はいま一度初心に戻って、普段周りの人たちから良く受ける質問にわかる範囲でお答えしてみたいと思った。ただし、前もってお断りしておきたいのは、オレ様が語れる「アボリジニの人々」とは、オーストラリアの中央砂漠の、とある一部の居住区で暮らす言語集団の人たちのことであって、オーストラリア全域のアボリジニの人たちを指しているわけではないということだ。ここ、大事なポイントね。
だって広大な大陸で、それぞれ異なる地域で暮らす多種多様なアボリジニの人々が、みんな同じ生活をしているわけがないからね。

###質問その1 アボリジニの生活

####アボリジニ村ではみんな何時に起きて、どんなことをしているのか?

元々「時間」という概念を持たないアボリジニの人たちですよ。だから何時に何をしなければならないというルールなんていうのは、始めから持ち合わせているわけがないんだねぇ。
それなのにアボリジニ村で、初めて狩りに行こうと誘われたとき、オレ様ったら、ついうっかり「何時に行く?」と尋ねてしまったのだ。即座に「3時、アフタヌーン」と彼らに言われたので、ふと自分の時計を見てみたら、もうすでに午後5時を廻っていた(笑)ので、あれれ? と思った。

また、居住区内にある小学校では、登校時間を定めても、毎朝アボリジニの子供たちが来る時間は実に様々。これじゃあ授業になりゃしないと、先生たちはいつもお手上げ。そこでオレ様から提案を出してみた。毎朝9時に、アボリジニ村全体に楽しい音楽を鳴り響かせる。それを子供たちが学校へ行く時間の合図にしたところ、これがドンピシャリ! で、以前よりもかなりの率で、子供たちが教室へ集まってくるようになったと、校長先生大喜び。オレ様、久々のお手柄だった。
ところがせっかく教室いっぱいに集まった生徒たちだったが、授業中に近所のお父ちゃんらしき人が窓ガラスをゴンゴンと叩くではないか。何やら外から「狩に行くどーー!」と叫んでいる。するとどうだろう。生徒たちはみんな一斉に教室を出て、お父ちゃんと一緒にそそくさと狩りへ出発。教室はたちまち空っぽとなった。
そう。アボリジニの子供たちにとっては、学校でアルファベットを習うより、お父ちゃんと一緒に狩りへ出掛けて、カンガルーの捕まえ方を学んだ方がずっと有益に思えるのであろう。アボリジニ村での優先順位は、いつも「生き抜くため」の智恵を習得すること、これに尽きるのだ。

また、アボリジニ村では性別や年代によって、やることはみんな様々。政府のオフィスワークやクリニック内の掃除など、決まった活動をする人たち以外は、大抵地べたに腰を下ろして、みんなで団欒している光景をよく目にする。元々、「仕事」という概念が、我々とは異なるアボリジニの人たちであるゆえ、彼らにとって他愛もないおしゃべり(のようにオレ様には見えるだけかもしれない)が、実は重要な部族間のミーティングだったりするのかもしれない。
昼間でも寝たければ、彼らはいたるところで寝るし、腹が減れば、2日前に仕留めたカンガルーを、ハエがブンブン飛んでいるまま口にするし、とにかく自分の身体の欲求に、実に素直に従う自然体の人たちであることは間違いない。

そうそう。ちなみに、オレ様、そのハエブンブンのカンガルー肉を少しだけおすそわけしていただいたことがある。神に誓って言うが、決して自分から食べたいなどと言ったわけではない。いや、むしろ「今はお腹一杯」と、食べたくないときにいつも使う手で、丁重にお断りしたぐらいだ。
しかし、その時ばかりは、どうしても食べざるをえない状況下となり、その骨付きハエブンブンの肉を口まで持っていったオレ様、これまでかいだことのない異臭で気絶しそうになった。ああ、このまま本当に気絶できればどんなに幸せなことか…、心の底からそう思ったものだった。
まずはペロリと舌で味見をしてみたところ、瞬時に「これは人間の食いモノではない」と脳みそが判断したようで、ノドチンコの奥がヒクヒクと震え始めた。味見だけではすまされず、肉の一片を少しかじってみたら、それこそビーフジャーキーの腐った味がしたような気がした。オレ様、これまで腐ったビーフジャーキーを食べたことなんてないのだが、生理的にそう感じたわけだから、きっとそうなんだと妙に納得。

そんなこんなで、最初の質問からは随分はずれてしまったが、とにかく我々とは異なる文化・社会・価値観で暮らしているアボリジニの人たちと、たくさんの時間を共有すればするほど、いかに自分が凝り固まったモノの考え方をしているかと痛感させられる。

人間、環境に応じて様々な規則があっていいのである。そして、時には思いっきり「ぎゃふん」と言わされる想いを味ってみることも必要ではないかと感じる、今日この頃のオレ様である。