先月号に引き続き、オレ様、今回も読者の皆様から次々に寄せられるあれやこれやの質問に、いくつかお答えしたいと思う。それもいつになく真面目にね!

数ある質問の中で一番多いのは、どういうわけだか食べ物についてだ。まあ、人間本来の一番の欲求である「食」に関する興味が、ひときわ大きいのは当然かもしれない(ちなみに食欲の次は性欲、そしてその次が名誉欲←これは他人から認められたいという欲求らしい。何となくわかるような気がするオレ様だ…)。
オーストラリア中央砂漠の、アボリジニ居住区で暮らす人々と、かれこれ10年以上もの付き合いになるオレ様が、彼等の食生活こそ、実にバラエティに富んでいるということを、今回お話しようではないか。

ご存知の通り、はるか太古、このオーストラリア大陸に西洋人が入植してくるずっとずっとずーと昔から、アボリジニの人々は人類最古のライフスタイルといわれる狩猟採集民として、広大な大地と共生してきた。

大地との共生って????

ほほーー。やはりまずここで首をかしげましたかな。諸君。
“共生”というのは読んで字のごとく。大地と共に生きるということなのでありますぞ。といっても、オレ様だって最初は一体何のことだか、今ひとつピンとこなかったのだ。だって一緒に生きていく対象のモノが人間ではなく、見渡す限りだだっ広い、うっそうと木が生い茂った大地なんだもんね。
しかし、日々アボリジニの人々とたくさんの時間を共有していくうちに、彼等が大地といかなる関係を築いていっているのかが、オレ様は随分理解できるようになったものだ。

さて、ここでちょっとばかり、このあたりを具体的に説明させていただこう。

その共に生きる…であるが…実はこれ、どっかで聞いたことあるセリフじゃありません?
そう。まだ嫁入りしていないオレ様が、こんなことを例えて言うのもまるで説得力がないと思われるだろうが、今やこんな年にもなっちゃいますと、他人様の結婚式には、これでもかというほど出席をしているわけでありまして、その結婚式で神父様が必ず「汝は健やかなるときも、病めるときも、夫○○と(妻○○と)共に生きることを誓いますか」って新郎新婦にたずねる、アレですよ、アレ。

つまり、どんな状況下に置かれても共に助け合い、認め合い、お互いを尊重していくっていう大事な誓いを、アボリジニの人達はそれこそ何万年も前から、大地と交わしていることになるのである。そこには両者の上下関係や主従関係などは、全く成立しない。それゆえ、人間が大地を支配したりコントロールするだなんていう発想は、まるでないのが彼等の理念であり、逆に人間そのものの存在だって、自然の一部として捉えられているのだ。
オレ様、砂漠のアボリジニの人々と一緒に狩りに行くと、必ず彼等が大地の表情を細やかにうかがっているのに気付かされる。目を細めて遠くの山や木々、そして近くに転がっている石ころ一つ一つを、とても注意深く観察しているのだ。それはまるで、大地が以前と変わらぬように、秩序正しく機能しているかを、確認しているようである。
そして、しばしば彼等は大地に語りかける。「おーい。やってきたぞー。子供達がお腹を空かしているから、食べ物をたくさんおくれよー」と。すると大地はその声を聞き、アボリジニの人達に食料を提供する。そういわれてみればオレ様、彼等と一緒に狩りに出掛けて、これまで何も採れずに帰ってきたということが一度もないなぁ。いつも大量のイモムシや蜜アリを、採れたての瞬間、採れたてのまま、それはそれはおいしそうにいただいているもんなぁ。
彼等がそれらを食べること、それはただ単に空腹を満たすということだけはなく、大地への感謝と敬意を表す、大事なコミュニケーションの一環でもあるんだということを、オレ様、そばで見ていてそう感じるのだ。
それは24時間、いつでもコンビニで食事が当たり前に買える利便性の中で暮らす我々現代人が、とっくの昔に忘れてしまった、ものすごく大切なことなのではないだろうか。

アボリジニの人々が大地の表情を常に確認するように、皆様も結婚式で生涯の幸せを誓い合った愛するパートナーの顔色(ご機嫌)を、毎日忘れずチェックするのは、最重要事項なのである!

今でこそアボリジニの居住区にはスーパーマーケットがあり、それこそ毎日狩りへ出掛けなくても、彼等は日常、空腹を満たすことができるようになった。
午前中スーパーでパンや冷凍の肉を買い、午後には4駆をブイブイうならせて、何時間もかけて狩りをする彼等の暮らしぶりは、とても興味深いものである。
また、よく遊びに訪れる彼等の家の戸棚には、ついさっきまで絶対に生きていただろうと思われる、カンガルーが血だらけで横たわっていたり、その部屋の隅には、胴体がすでに食われてなくなっている牛の頭だけが、まるでアートのオブジェのように置かれていて、おまけにオレ様、その牛と目があっちゃったりするんだから、なおさら興味深い。

今のご時勢、メールも確かに便利で有効だが、やはり時にはちゃんと顔を見ながら話をしたいものである。お互い、目じりのシワを数えあうのだけはやめようと約束しながらも、久し振りに逢う同級生に、そうっと『白髪染め、何かいいのがあったら教えて』と、こそこそ話をするひとときも又、たまらなく嬉しかったりするものだ。

スーパーで食料を調達しながらも、狩りで大地に語りかける現代のアボリジニの人達。世界の多くの民族文化がそうであるように、アボリジニ文化も又、世界の宝物である。

現代人アボリジニの人々から、我々が学ぶべきことは実に多いのだ。