Collection: tokyo2024

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1971年生まれの作者は南オーストラリア・フレゴン街で幼少期を過ごした。

    絵画制作を始めたのは2004年。アーティストとしてのキャリアを育むため、フルタイムで画家として仕事をするまではKALTJITIアートスタジオでしばらく経営のアシスタントを務めていたという。

    主題は作者の祖母から受け継がれた自らの故郷にまつわる物語。

    祖母は作者にとってとても影響力のある人物であったことからそのストーリーを伝承する重要性は幼い頃から十分に認識をしていた。

    図案に描かれる大きな同心円は作者のカントリーにある多種多様な岩山を表し、遥か太古にその土地を創造した精霊たちが旅をした道程でもあるという。

    斬新でエネルギッシュな作品は人気も高く、近年美術愛好者たちが大きな注目を注ぐ期待の女性画家だ。

  • ブッシュヤムポテト・ドリーミング

    ブッシュヤムポテト・ドリーミング

    作者は実の父親のカントリー(豪州中央砂漠北東部)にまつわるストーリーを主題として描く。

    タイトルの“ブッシュヤムポテト”とは野生のイモ科の植物のことでそれらは自分たちが暮らす大地(カントリー)の地面下で筒状に育ち、それをアボリジニの人々が掘り起こして食物とする。乾燥した砂漠地帯にようやく雨が降ったあと色とりどりの草花が地面いっぱいに咲き乱れそこに筒状のブッシュヤムポテトが育血、細かい点描はその種子を表していると言う。

    モダンな色使いと独特でユニークな図案が人気で、近年では豪州のインテリア雑誌に取り上げられる頻度も多い。

    日本で初めて作品を紹介したのは2007年。たちまち人気作家となり、人気は年々上昇するばかりだ。

  • マイ・カントリー(ウォーター・ドリーミング)

    マイ・カントリー(ウォーター・ドリーミング)

    自らの母親から継承されたストーリーを独自の手法で斬新に描く若手の女性アーティスト。アボリジナルアート発祥の地・パパニアで暮らす。

    自分たちのカントリーが日々正しく機能しているかどうかアボリジニの人々は常に「大地の表情」を静観し、時によってはカントリーに呼びかけながらその日のご機嫌をうかがう。

    この図案はある日、砂漠では稀な豪雨となったことで居住区内が大洪水になりながらも人々は「恵みの雨」と大地へ祈りを乞い、災害を免れたストーリーを描いているという。

    “ドリーミング”(アボリジニ社会における独特な思想・世界観)は何世代にも渡って祖先から次の世代へと伝承されるもので、自分たちが厳しい環境の中で生きるための“バイブル”として現在においても何も変わることはない。

    一晩中、儀式を行いそこで歌い踊り、精霊たちと交流をしながらこの「世界の成り立ち」の壮大なストーリーを学んでいくことはアボリジニ社会では重要不可欠なことなのである。

  • 母の大地

    母の大地

    1945年ごろに生まれる。

    アボリジニの人々にとって広大なオーストラリアの大地は自らを創り出してくれた偉大なる「母」。
    作者はアボリジニの母親とアイルランド人の父親を持つ混血児であったことから1950年代、オーストラリア政府の親子隔離政策(Stolen Generation)により、幼い頃に(当時9歳)母親から強制的に引き離されて「オーストラリア白人社会」への順応を余儀なく要求された体験者である。そのため家族の待つ自分の故郷へ一刻も早く戻りたいと日々願っていたという。

    故郷をあとにしてからおよそ20年の歳月が過ぎた頃、作者の念願がやっと叶い自分の生まれ育ったカントリーへ再び戻ることとなった。この作品には自分とカントリーのコネクションを再確認できた大きな喜び、そして長い年月を経ても快く受け入れてくれた家族への深い感謝の気持ちが込められている。

    いまや世界中にコレクターが存在する著名画家として瞬く間に名声を上げた作者は日本のメディアにもこれまで多数出演をしている。

    大の親日家でもある作者のこれまでの来日経験は5回。2028年には大阪国立国際美術館・東京国立新美術館で大々的に開催された「アボリジニが生んだ天才画家・エミリー・ウングワレー展」において、故エミリー・ウングワレ―とは生前誰よりも近しい親族のひとりだったことからオフィシャルゲストとして日本へ招かれた。

    2023年。家族の見守る中アデレード病院にて逝去。

  • ブッシュプラムドリーミング

    ブッシュプラムドリーミング

    1947年生まれのベテランアーティスト。オーストラリア国内外に多くのコレクターが存在する著名画家でもある。

    作者の名前が知られるようになったのは、1970年代にオーストラリア政府のプロジェクトの一環であった、ユトーピアコミュニティの女性たちで制作されたバティック(ろうけつ染め)であった。

    その後、現在の画布となるキャンバス地に描くようになってからも独特な色合いとユニークな図案が人気を呼び、たちまち注目を集めるようになったという。

    主題はいくつかあるが、多く描かれるのは自らの故郷(Arlparra)であるマイカントリー。作者にとって大地と自分の関わりこそが何よりも重要なものであることは間違いない。

    Collections:
    Commonwealth Law Courts, Melbourne, VIC
    The Holmes à Court Collection, Perth, WA
    La Trobe University Collection, Melbourne, VIC
    Mbantua Gallery Collection, Alice Springs, NT
    National Gallery of Victoria, Melbourne, VIC
    National Gallery of Australia, Canberra, ACT
    The National Museum of Art, Osaka, Japan
    The Oval Board Collection, Bishop Museum, Hawaii, USA

  • 女性の儀礼

    女性の儀礼

    1922年ごろユトーピアにて生まれる。

    2004年後半に最も近しい親族である画家のバーバラ・ウィアに絵画制作を促されたのがきっかけとなり、それ以後は斬新でエネルギッシュな筆づかい、そして独創的な構図の美しさに幅広い年齢層のファンが定着した。

    アボリジニの女性の儀礼をではそれぞれの身体(肩・胸元・乳房・太もも)に絵を描き、祖先から伝承される歌をうたい踊りを舞う。それは自分たちの社会が繁栄し続けることを祈る儀式でもあるという。

    年配者はその儀式の際に、自分たちが属する祖先のグループがどのような社会的役割を担うのか、また世界存立の壮大なスケールのストーリーについて次の世代へと伝えていく。

  • 私の母の故郷

    私の母の故郷

    作者は1953年生まれ、ユトーピアの女性画家として1990年代後半から絵画制作に励んできた。アーティストとしてのキャリアは比較的長いベテラン作家の1人である。

    細やかな点描は乾燥した砂漠地帯にようやく雨が降ったあと色とりどりの草花が咲き乱れそこにブッシュプラムが生息する様子を描いている。
    (注:ブッシュプラム → 乾燥したオーストラリアの中央砂漠でアボリジニたちの大切な食料源となる果物の実。ビタミンCを非常に多く含む。)

    細やかなドット手法が人気でありもはやコレクターが数多く存在する。作者が絵画を描くということは大地と自分が常に関わり合っていることを確認することの表現。
    これははるか太古から祖先(精霊)によって伝承されてきたメッセージを大切に守り続けるための重要な儀式を行っているのと同じだと作者自身は誇らしげにいう。

    コレクション:National Gallery of Victoria

  • 私の母の故郷

    私の母の故郷

    作者は1953年生まれ、ユトーピアの女性画家として1990年代後半から絵画制作に励んできた。アーティストとしてのキャリアは比較的長いベテラン作家の1人である。

    細やかな点描は乾燥した砂漠地帯にようやく雨が降ったあと色とりどりの草花が咲き乱れそこにブッシュプラムが生息する様子を描いている。
    (注:ブッシュプラム → 乾燥したオーストラリアの中央砂漠でアボリジニたちの大切な食料源となる果物の実。ビタミンCを非常に多く含む。)

    細やかなドット手法が人気でありもはやコレクターが数多く存在する。作者が絵画を描くということは大地と自分が常に関わり合っていることを確認することの表現。
    これははるか太古から祖先(精霊)によって伝承されてきたメッセージを大切に守り続けるための重要な儀式を行っているのと同じだと作者自身は誇らしげにいう。

    コレクション:National Gallery of Victoria

  • マイ・カントリー(ウォーター・ドリーミング)

    マイ・カントリー(ウォーター・ドリーミング)

    自らの母親から継承されたストーリーを独自の手法で斬新に描く若手の女性アーティスト。アボリジナルアート発祥の地・パパニアで暮らす。

    自分たちのカントリーが日々正しく機能しているかどうかアボリジニの人々は常に「大地の表情」を静観し、時によってはカントリーに呼びかけながらその日のご機嫌をうかがう。

    この図案はある日、砂漠では稀な豪雨となったことで居住区内が大洪水になりながらも人々は「恵みの雨」と大地へ祈りを乞い、災害を免れたストーリーを描いているという。

    “ドリーミング”(アボリジニ社会における独特な思想・世界観)は何世代にも渡って祖先から次の世代へと伝承されるもので、自分たちが厳しい環境の中で生きるための“バイブル”として現在においても何も変わることはない。

    一晩中、儀式を行いそこで歌い踊り、精霊たちと交流をしながらこの「世界の成り立ち」の壮大なストーリーを学んでいくことはアボリジニ社会では重要不可欠なことなのである。

  • ウォーター・ドリーミング

    ウォーター・ドリーミング

    図案に見られる同心円は、遥か太古に自分たちの大地(カントリー)を創造した精霊たちが水場を求めてたどった道のりを表す。

    水のもっとも乏しい中央砂漠では水のありかを見つけられるという能力は砂漠でどれだけ生き延びられるかというアボリジニの人々にとっては何よりも大事な情報だ。読む・書くといった文字を持たなかった無文字社会で生きてきたアボリジニの人々にとってそれらの情報を目で見る言語として絵画に表し何世代にも渡って伝承してきている。

    アボリジニの社会では自分たちの祖先(精霊たち)が訪れた水場やそこまでたどった道筋などを歌や踊り、そして絵画として記憶しそれらを確実に記憶する。その行程をアボリジニの人たちは“ソングライン”や“ドリーミング”と呼び、儀式を通じて壮大なストーリーの伝達を行うのである。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1978 年生まれの若手女性アーティスト。

    遥か太古からオーストラリア中央砂漠に住むアボリジニの人々は水や食物を求めながら移動をしていた狩猟採集民族であった。地図も道路標識も何も無い大陸でも、彼等は大地の「声」を聞きながら、何も不自由することなく自由自在に移動をしていたのである。

    そして乾燥した赤茶色の大地を見ながら「ここは生命(いのち)溢れる豊穣な土地。我々のスーパーマーケットだ。」と誇らしげに言うのだ。

    この作品はそのアボリジナルの人々たちの旅程を表すものであり、環状の図形は祖先が訪れたひとつひとつの水場を表す。乾燥した砂漠地帯で「水」のありかを探し求める能力があるということはそこでどれだけ生き延びられるのかという欠かせない情報であり、その水場はやがて聖地となり現在においても深いゆかりある地として敬われている。

  • ノーラの故郷

    ノーラの故郷

    1948年生まれ。

    自分たちのカントリーが日々正しく機能しているかどうか、アボリジナルの人々は常に「大地の表情」を静観し、常にカントリーに呼びかけながらその日のご機嫌をうかがう。それは“ドリーミング”(アボリジニ社会における独特な思想・世界観)として何世代にも渡って伝承されるもので、彼らが厳しい環境の中で生きるための“バイブル”でもあるのだ。

    無文字社会で暮らした彼らはそれを「歌」や「踊り」、そして「絵画」で伝えてきた。一晩中、儀式で歌い踊り、精霊たちと交流をしながらこの「世界の成り立ち」を学んでいくことはアボリジニ社会では重要不可欠なことなのだ。

    図案に描かれる同心円はかつて精霊たちがカントリーを土地から土地へと旅をしながら創り上げた水場であり、それがやがて聖地となって自分たちをずっと見守り続けてくれるのだと作者は誇らしげにいう。

  • ブッシュメディスン

    ブッシュメディスン

    作者は1977年生まれ。幼い頃から積極的に絵画制作をしていた親族が自分の周りに数多くいたという環境から、自らも常に絵を描くことに興味を抱いていたという。

    グループ展で出展を始めたのは2007年以降。斬新な色合いとユニークな筆遣い画法が支持され、最近ではオーストラリア国内のインテリア雑誌などにもしばしば登場する活躍ぶりだ。国内でのファン層は厚く、現在は海外にもコレクターが多数存在するほど人気はうなぎ上りである。

    物質文明からもっともかけ離れた環境で、遥か5万年前の太古から野生で得られるものだけで生き延びてきたアボリジニの人々。主題である「ブッシュメディスン・薬草の物語」は、西洋医学とは無縁だった時代にアボリジナルの人々が病を治すために服用してきた薬草にまつわるストーリーである。何千種類もある薬草がどの病に効用するのか、「大地」を守り抜いてきた「命の物語」を継承された人々だからこそ見極める力が備わっているのだろう。

  • マイ・カントリー

    マイ・カントリー

    1910年ごろアリススプリングスの北東にあるアボリジニ居住区、ユトーピア地域に生まれる。

    今日ではオーストラリアを代表するアボリジニ画家として幅広く知られ、国内はもとより世界中のメジャーな美術館、またアートコレクターたちより非常に高い評価を受けている。

    オーストラリア先住民アボリジニであり、砂漠で生涯を送った作者が初めて作品を発表したのは年齢が70代後半、1988年であった。以後、86歳で生涯を閉じるまでのわずか8年間に作者は、次々と図柄や手法を変えながらおよそ3000点以上もの作品を残したという、まさに彗星のごとく現れた驚くべき
    人物として大きな注目を浴びたことは言うまでもない。

    エミリー・ウングワレーは極めてモダンな、美しく自由で革新的な芸術を創造し、20世紀が生んだもっとも偉大な抽象画家のひとりと言われている。

    1996年9月に永眠。その翌年の1997年、ベネチア・ビエンナーレ美術展にはオーストラリアの代表画家として特別出品され、世界的に高い評価を得たことで多くのアートファンたちを魅了した。

    作者の独創的な技法である大きなドット《点描》を何層にも重ねるスタイルはパワフルで尚且つエネルギッシュでありながらも、優雅で華やか。観る側の心を大きく揺さぶる力がある。

    そんな彼女の作品が2007年、オーストラリアで行われたアートオークションで1ミリオンオーストラリアドル(日本円でおよそ9800万円)で落札されたことは大きな話題になった。オーストラリアの女性画家としては当時最高落札価格となり、いまだにこの記録は破られていない。

    西洋美術とは無縁の環境で生まれ育ちながら、革新的な絵画世界を創造した画家の魅力溢れる大回顧展「アボリジニが生んだ天才画家、エミリー・ウングワレー展」が2008年に大阪国立国際美術館・東京国立新美術館で開催された際、日本ではまだ無名であった高齢の豪州先住民の女性画家の展示会に、延べ12万人以上の観客を動員したことは誰もをあっと言わせ大きな話題となった。(この展示会は天皇陛下ご夫妻もご高覧された。)

    あれから16年の歳月が流れた今もなお「記憶に残る素晴らしい展覧会」だったと多くの人々が高く評価をしている。